聖書は神さまからのラブレター(手紙)です!

聖書

愛してるの言葉は、今はラインとかSNSで思いを伝える傾向ですが、聖書の文字による恋文は過去から今日も明日も、永遠に変わらない神さまの愛の言葉です。

あなたが日常生活で悩むとき、悲しみに打ちひしがれた不安感、焦燥感、絶望感をどうすれば喜びと平安と愛の気持ちに回復しますか。

それは、聖書の御言葉と祈りが”アメイジング・グレイス”驚くばかりの神の恵みで、あなたのたましいと霊と肉体を癒やします。

嫌なことがあるときは聖書を読むとき

人生の歩みの中でなにかしら嫌なことが感じるときあります?

仕事のことや人間関係のこと、健康のことや社会保障制度のこと、気候の変動や時代情勢のこと等など。

いつも楽しいことばかりではないこと、また、その嫌がっている自分にも嫌と思うことがあります。

 

日々、感謝をして笑顔でにこやかに、心穏やかに暮らして行きたいのだけれども、なんとも嫌な気持ちになるときあります。

 

心開放されていない気持ちすごく分かりますよ。

 

そのときには聖書を開いて見よう。

一節でも良いのです。

何気なしに開いた聖書箇所で良いのです。

 

聖書の言葉に時があるから、この嫌なことがあるときを通して、愛の神さまが慰め語りかけてくださるのです。

 

いろいろな嫌なことを経験することで人格が鍛えられ、人の痛みや弱さをわかる人間になり、克服して品性が高まり成長していきます。

 

 

 

うまくいかないときだから聖書が心に響く

人生には波があるもので、うまくいくときとうまくいかないときが交互にやってきて、気持ちがイライラしてしまうものです。

 

人生うまく行っているときは、自分一人で道を切り開いて自分一人で成功を収めた、と考えを持つようになります。

 

うまくいかないときは、「神さまなんかいない」と思えるようなときでもあります。

 

自分は誰からも見捨てられて、孤児にでもなったような不安が心を襲います。

しかし、いつもいつも愛の神イエスキリストはあなたの傍にいるのです。

 

あなたの心が折れて穏やかでないとき、試練に倒れて歩めないとき、キリストはあなたを背負って歩いていました。

 

聖書の時が来て、悲しみから抜け出て平安になり振り返ると、そこには足跡が2人分のところと1人分の足跡が残っています。

 

2人分の足跡のところは、あなたの人生がうまく行っているときでした。

ともに喜び歩まれています。

 

しかし、1人分の足跡のところは、あなたの人生がうまくいかない時でした。それは、イエスキリストがあなたを背負って歩んでくれた足跡だからです。

 

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

ヨハネの福音書14:18

 

 

 

生きるのが辛いとき聖書の言葉で希望と勇気と励まし

大切な人を亡くした時、愛する人に裏切られ生きる力をなくしたとき、思いもよらない人生の挫折を経験したとき、病気で苦しい思いをしてるときなど生きるのが辛いとき、そのときには思いっきり泣こう。

 

いっぱい泣いていいんだよ。

男性も女性も泣いていいんだよ。

感情を出していいんだよ。

 

マリヤとマルタの兄弟ラザロが死んだとき、イエス様もともに泣いてくださったのだから。

イエスは涙を流された。

ヨハネの福音書11:35

この後、マリヤとマルタとユダヤ人たちの目の前で、イエス様はラザロを生き返らせました。

 

今は、イエス・キリストを信じる信仰によって天国行きへの希望があり、助け主なる聖霊がいつも傍らに居て、勇気と励ましを与えてくださいます。

 

祈り

あなたの思い煩いや必要としていることを、神さまに祈ってみましょう。

キリスト教(プロテスタントorカトリック)のお祈り
あなたの人生の舵をイエスキリストに預けるには、あなたの信仰の祈りを通して神に聞かれます。 心で信じたなら、次はお祈りの言葉を口で告白することをお勧めいたします。 お祈りは、 聖霊に導かれ イエス・キリスト...

 

 

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