皆さん、こんにちは。
本日の聖書箇所は前回の創世記4章に続き、創世記5章です。
たった数ページ前、創世記1章の壮大な天地創造の話から一転、
この章は、まるで古い家系図のように、人の名前と年齢が淡々と並んでいます。
アダムは930歳まで生きました。セツは912歳。エノシュは905歳…。
皆、現代人の私たちが想像もできないほど、長く生きています。
まるで人生という名の、どこまでも続く長距離走のようです。
しかし、このリストを読み進めるたびに、一つの、非常に冷たく、
避けがたい現実が、何度も、何度も繰り返されます。
「そして、彼は死んだ。」
930年という長い人生も、912年という人生も、
最後は全てこの一文で終わります。「そして、彼は死んだ。」
皆さんにとって、「死」とは何でしょうか?
それは、テレビや映画の中の出来事でしょうか?
あるいは、まだ遠い未来に起こる出来事でしょうか?
私たちがどれだけ健康に気を使い、どれだけお金を貯め、
どれだけキャリアを築いたとしても、
このリストにある誰もがそうであったように、私たちの物語の結末には、
必ずこの一文が待っています。
「死」は、私たちの人生における唯一にして、最も確実な約束です。
私たちは皆、長い人生のレースを走っているつもりですが、
この5章のリストを眺めると、それはまるで、「死」という名のゴールテープに向かって、誰もが避けられずに走っているようにも見えます。
この避けることのできない「死の現実」を目の前にして、
私たちはどう生きるべきなのでしょうか。
そして、聖書がこの暗い現実に、
唯一例外となる「希望の光」をどのように示しているのか。
今日、この創世記5章の系図を通して、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
アダムの系図(1–2節)
| 世代 | 名前 | 生存年数 (歳) | 長子誕生時の年齢 (歳) |
| 1 | アダム (Adam) | 930 | 130 (セツ誕生) |
| 2 | セツ (Seth) | 912 | 105 (エノシュ誕生) |
| 3 | エノシュ (Enosh) | 905 | 90 (カイナン誕生) |
| 4 | カイナン (Kenan) | 910 | 70 (マハラレル誕生) |
| 5 | マハラレル (Mahalalel) | 895 | 65 (ヤレド誕生) |
| 6 | ヤレド (Jared) | 962 | 162 (エノク誕生) |
| 7 | エノク (Enoch) | 365 | 65 (メトシェラ誕生) |
| 8 | メトシェラ (Methuselah) | 969 | 187 (レメク誕生) |
| 9 | レメク (Lamech) | 777 | 182 (ノア誕生) |
| 10 | ノア (Noah) | – | 500 (セム、ハム、ヤペテ誕生) |
創世記5章の族長たちの年代記チャート
「アダムの系図」では、アダムからはじまり、10代目のノアで終わっている。
1節前半、「これはアダムの歴史の記録である。」
アダムの新しい歴史「トールドート」(תוֹלְדוֹת)の始まりであり、その後、子孫たちの歴史である。
「記録」とは本や書と言う意味
ヘブル言語ではセフェル(סֵפֶר)という言葉、これが初めて登場する。
前回までの2:4
これは、天と地が創造された時の経緯である。神である主が、地と天を造られたときのこと。
から4:26までの第1のトルドートの要約である。
1節後半~2節、「神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を人(アダム)と呼ばれた。」
→ 人間は本来、神の栄光を反映する存在であった。
アダムからノアまでの子孫(3–32節)
創世記3章を思い起こすと、神は「あなたは必ず死ぬ」と言われました。
その警告がこの5章に現実となっている。
アダムも、セツも、エノシュも、すべての人が「そして彼は死んだ」と結んでいる。
人間はどれほど長生きしても、最後は死にます。
現代医学が進んでも、死を避けることはできません。
死は人類共通の現実であり、罪の支配の証です。
3節:堕落の現実
「アダムは130年生きて、彼の似姿として、彼のかたちに男の子セツを生んだ。」→ アダムの堕落後の子孫は「神の似姿」ではなく、「罪を負ったアダムの似姿」として生まれるようになった。
これは、全ての人間が、生まれながらにして罪の性質(原罪)を受け継ぎ、自力では神の栄光に達し得ないことを意味します。
この系図は、救い主の必要性を論理的に指し示す土台となります。
・長寿の記録
族長たちの900歳越えの寿命は、神話的数字ではない、原初の祝福の名残である。洪水後、寿命は徐々に短くなっていく。
堕落前の世界の痕跡:バド・ティビラ王エン・メン・ル・アナの在位は43,200年間である。 【シュメール王名表】

繰り返し響く「死」の現実(5:8, 11, 14, 17, 20, 27, 31)
罪の賃金としての死: 創世記3章でアダムが犯した罪の結果、
「あなたは土のちりだから、土のちりに帰る」(創世記3:19)
という神の宣告が、この系図によって厳然たる事実として証明されています。
彼らがどれほど長く生きたか(900歳前後)にかかわらず、寿命の長さに関係なく、
すべての人に死が訪れるという罪の普遍的な力を示しています。
ローマ書6:23は、
罪から来る報酬は死です。 しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト. イエスにある永遠のいのちです。
と記されている。
天地創造は非常に良かった。のである
全てに調和が取れていて平和であり平安の世界だった。
美しいハーモーニーが溢れ心穏やかな時が流れていたのである。
22節、「神とともに歩んだ」と記されている。これは族長の中でもエノクとノアである。
6:9「ノアは神とともに歩んだ」と同じ表現が使われてある。
「歩む」という言葉はヘブル語で「ハレーフ」(הַלֵּךְ)で、継続的な行動を意味します。
単に神を信じるだけでなく、日常生活の隅々まで神を意識し、神との親密な交わりを持ち続けた継続的な信仰生活を意味します。
エノクは65年間は神と歩んでいない人生でした。
一新に変えられたのは、メトシェラを授かってからのエノクは300年間、神とともに歩んだとあります。
エノクが「神とともに歩んだ」というのは、
単なる形式的な宗教行為ではなく、彼の全人格と人生が神に向けられ、
神との生きた関係性の中にあったことを示唆している。
それは、神を信じ、神に従い、神と絶えず交わり、
罪から離れて聖く生きるという、信仰に基づく生き方そのもの。
つまり、「一時的に」ではなく「ずっと」神とともに歩み続けた。
「歩く」には方向が必要です
神とともに歩むとは、神と同じ方向に進むことです。
アモス書3:3はこう言います。
約束もしていないのに、二人の者が一緒に歩くだろうか。
新約聖書ユダの手紙14-15節によれば、
14.アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう予言しました。「見よ、主は何万もの聖徒を引き連れて来られる。15.すべての者にさばきを行い、不敬虔に生きる者たちのすべてに不敬虔な行いと、不敬虔な罪人たちが主に逆らって語ったすべての暴言について、皆を罪に定めるためである。
エノクは預言者として不敬虔な者たちに警告を発している。
周囲が堕落していく中でも、義を貫抜き神の基準に従って生きることを選んだエノクである。
つまり、新約の光の下では、「神とともに歩む」とは 神を信じ、
神を信頼し、神に喜ばれる生き方をすること。
これは、神との親しい交わりを持つことである。
私たちクリスチャンは日々のデボーションで聖書を読み、神のみ声を聞き、
イエスの名で祈り、聖霊との交わり(聖霊が内住してくださる特権)を継続すること。
神の性質に従った生き方をしたエノクは、死を経験しない勝利
24節では
「エノクは神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」
と結ばれます。
死の普遍性が打ち破られた最初のケースです。
他の人には「そして彼は死んだ」と記されているのに、エノクには「神が彼を取られた」とある。
これは死を超えた命、復活の希望を象徴しています。
エノクの昇天は、
神との真の交わりの中に生きる者には、死すらも最終的な終わりではないこと、
神が信じる者をその天国に迎え入れるという究極の希望を予表しています。
これは、キリスト再臨の時に起こる、信者の携挙のひな型としても解釈できます。
新約聖書のヘブル11章5節はこう証しします。
「信仰によってエノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証されていたのです」
彼は「死を見ないように移される」という、
他の誰も経験しなかった特別な恵みを受けたのです。
これは、神が、ご自身とともに歩む者をどれほど大切にし、
祝福されるかを示す、旧約聖書における象徴的な模範と言えるでしょう。
さて、前回の4章ではカインが罪を犯し「主の前から去って行った」ことを学びました。
これはとても対照的です。
では、皆さんにお聞きします。あなたは日々、
神とともに歩む道を選びますか?
それとも、神から離れていく道を選びますか?
あなたは、どちらの道ですか?
しばし考えてみましょう
thinking time…….

神は創世記3:15で「女の子孫が蛇の頭を砕く」と約束されました。
その救いの約束は、罪の現実のただ中でも守られているのである。
神の約束は途絶えないのである。系図の継続がある。
死が繰り返される中でも、系図は絶えることなく続き、「ノア」へと至ります。
ノアと系図の終着点(28-32節)
ノアに託された慰め(29)
レメクは、息子ノアに
「この子は、主がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、
私たちを慰めてくれるだろう」という名前を与えます。
これは、人々が置かれていた環境が、
地に対する呪いと苦難に満ちたものであったことを示すのである。
ノア(慰め/安息の意味)という名には、
神による救済と安息への切なる願いが込められている。
この系図の目的は、ノアという救いの器へと焦点を絞ることである。
また、この系図は新約聖書ルカの福音書3:36-38でキリストに繋がり、
すべての歴史はキリストに向かっている。
罪と死の中でも、神の救済計画は着実に進行している。
そして、次の6章の洪水物語への橋渡しでもある。
ノアの箱舟による救いは、
後にイエス・キリストによってもたらされる完全な救いの大きな予型である。
まとめ:「神とともに歩む」とは
- 宗教的行為だけではない – 生活全体が神との交わりであること
- 特別な人だけのものではない – すべてのクリスチャンへの召しである
- 完璧さではない – 神への方向性と継続性が大事である
- 孤独な歩みではない – 聖霊なる神が常に共にいてくださると認識すること
- この世での歩み – 世を離れるのではなく、世の中で神と歩むことである
【ミカ書6:6~8】が美しくまとめています。
6 何をもって、主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。
7 主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私のそむきのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。
8 主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主は何をあなたに求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
エノクのように「神とともに歩む」生活は、
特殊な聖人の生活ではなく、すべての信者が召されている生き方のモデルなのである。
【招き】
愛する皆さん。
今日、私たちは重要な真理を学びました。
人生には終わりがあると言うこと。
そして、その終わりの先に何があるかが、最も大切な問題なのです。
聖書は明確に教えています。
死は終わりではありません。
その先に、永遠の天国と地獄があります。
問題は、あなたがその永遠をどこで過ごすかです。
イエス・キリストは、あなたの罪の身代わりに十字架上で死なれました。
そして聖書に従って三日目に復活され、死に勝利されました。
このお方を信じる者は、裁きではなく、永遠のいのちを受けるのです。
今日、決断の時です。
あなたは、エノクのように神とともに歩む人生を選びますか?
それとも、神なしで生きることを選びますか?
グレーゾーン・中立はありません。選ばないことも、一つの選択なのです。
もし今日、「イエス・キリストを自分の救い主として信じます」と告白したい方は、
黒部カリスアガペー教会のHPへ書き込むか、電話をして来てください。
年齢は関係ありません。
若い方も、人生の後半の方も、神様の招きに年齢制限はありません。
「でも、自分は罪深すぎる」と思っている方、まさにあなたのためにキリストは来られたのです。
「でも、まだ準備ができていない」と思う方、完璧になってから来る必要はありません。
あなたのそのままで来てください。
今日が、あなたの人生の転換点となるかもしれません。
神様は、今、あなたを招いておられます。
どうぞ、告白してください。



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