「甘くて苦い巻物」と、黒部の空にかかる虹の約束

説教・メッセージ

聖書箇所:ヨハネの黙示録10章1節~11節

「人生、山あり谷あり」のその先へ。黙示録10章が教える、苦しみが喜びに変わる瞬間

立山連峰の険しさと、黒部川の清らかさ。私たちの人生も、時に厳しく、時に穏やかです。聖書の一番最後、ヨハネの黙示録10章には、そんな私たちの現実を包み込む「大きな計画」が記されています。未信者の方にも分かりやすく解説します。

【導入】

今日はヨハネの黙示録10章を開きます。前章を、振り返りますね。9章では第5・第6のラッパが吹かれ、人間の力ではどうにもならない混乱と苦しみが描かれました。にもかかわらず、聖書はこう記します。「人々は悔い改めなかった」と。つまり、問題は外側ではなく、心の向きなのです。そして10章は、その激しいさばきの“途中”に挿入された章です。これは神様のさばきの中にある「中断」―神の沈黙の中に差し込まれた、希望の章なのです。

・アウトライン

⑴ 天から降りてくる力ある御使い(1–4節)⑵「もはや時がない」──今こそが恵みの時(5–7節)⑶ 小さな巻物を食べる(8–10節)【まとめ】黙示録10章のメッセージ

1、天から降りてくる力ある御使い(1–4節)

ヨハネは「力ある御使い」を見ます。

この「力ある御使い」は

神様の全権大使(最高司令官)です。

頭には虹

顔は太陽のよう

足は火の柱のよう

片足は海に、片足は地に

虹は、旧約聖書の創世記9章で、

神が洪水の後に与えた

「滅ぼさない」という約束のしるしです。

裁きの文脈の中に、虹がある。

それはこう語っています。

「わたしはさばく。しかし、約束を忘れない。」

黒部市に住む私たちも、自然の猛威を知っています。

急流黒部川、豪雪、地震。

自然の力の前で、人は小さい。

しかし聖書は言います。

自然より大きい神が、

約束をもって支配しておられると。

2、「もはや時がない」──今こそが恵みの時(5–7節)

御使いは右手を高く上げて、天地の創り主である神によって誓いを立てます。

「もはや時は残されていない」

これは「猶予の終わり」を宣言する言葉です。

この言葉はギリシャ語原文でχρόνος οὐκέτι ἔσται(クロノス・ウケティ・エスタイ)です。

「時間は もはやない」という意味で、

決定的な終末の到来を宣言しています。

ここでいう「時」は、単なる時計の時間ではありません。神の忍耐の時間です。

神はずっと待っておられたのです。

悔い改めるのを。

振り向くのを。

しかし、その猶予には終わりがあります。

わかりやすい例えで言えば:

毎年秋、黒部の山は突然初雪に覆われます。

山の気象は麓の感覚と違う。

「まだ夏だ」と思っていた旅人が、

立山で命を落とすことがある。

神さまの時計は、私たちの日常感覚とは

異なるリズムで動いています。

「神の奥義が成就する」

「神の奥義」(τὸ μυστήριον τοῦ θεοῦ)ト ムステェィリオン トゥー ゼウー とは何か?

これはパウロが語るキリストの福音、すなわち「ユダヤ人とも異邦人とも関係なく、すべての者に開かれた救いのご計画」です。(エペソ3:3–6参照)

黙示録はその千年王国

(メシア的王国)の完成を告げています。

皆さん。人生を振り返ると、「あの時やっておけば」ということはありませんか?

神さまとの関係も同じです。

いつか、ではなく、今、のようですね。

3、小さな巻物を食べる(8–10節)

今日の箇所の中で、

私が最も心打たれるのがこの場面です。

神はヨハネに、その小さな巻物を

「食べなさい」と命じます。

ヨハネが食べると

口には蜂蜜のように甘かった。

しかし飲み込んだ後、腹が苦くなった。

これは不思議な光景です。

しかし旧約の預言者エゼキエルも同じ経験をしました(エゼキエル書2–3章)。

神の言葉には、甘い部分がありますね。

「わたしはあなたを愛している」

「すべての罪を赦す」

「永遠のいのちを与える」

これほど甘い言葉が、どこにあるでしょう。

人生の疲れた中高年の心に、これほど染み入る言葉が、どこにあるでしょう。

でも同時に、神の言葉は

腹に苦い部分も持っています。

「あなたには罪がある」

「あなた一人では神の前に立てない」

「裁きはある」

この真実を、私たちはどこかで知っています。

長い人生を生きてきた皆さんは特に、

自分の内側の暗さを知っているはずです。

傷つけてしまった人のこと。

後悔していること。

取り返せないと思っていること。

でも聞いてください。

その苦みを味わった後に、

初めて甘みの深さが分かるのです。

罪の重さを知った者だけが、

赦しの喜びを本当に知ることができます。

神はあなたに、まず甘みを味わわせてから苦みを押し付けるのではなく、苦みの先にある真の甘みへと導いておられます。

「あなたは再び預言しなければならない」(11節)

最後に、

この章の最後の言葉に注目してください。

巻物を食べた後、ヨハネは命じられます。「あなたは再び預言しなければならない。」

つまり、これは終わりではない。

使命の再開なのです。

神の言葉を受け取った人は、

語る人になります。

あなたは今日、神の言葉を口にした。

讃美歌を歌い、聖書の言葉を聞いた。

それはすでに、

小さな「食べる」行為です。

そしてその言葉があなたの中で

何かを動かし始めているなら

──それが苦みであっても──

それは神があなたに

語りかけておられるしるしです。

【まとめ】黙示録10章のメッセージ

・神のさばきの中にも虹がある

・神の忍耐には終わりがある

・神の言葉は甘いが、苦い

・裁きの幻の中にあっても、神は語り続ける。そして、語る者を立てる

これは私たちへの語りかけでもあります。そして教会全体への語りかけです。

初めて聖書に触れる皆さんへ

神はあなたを滅ぼすために語っているのではありません。

目を覚ましてほしいから語るのです。

黒部の町は自然が雄大です。

しかし人の心は、山よりも高く、

谷よりも深い。

神はその心に語りかけています。

甘いだけの宗教ではありません。

苦いだけの道徳でもありません。

甘くて苦い、しかし真実の言葉。

それが十字架です。

最後に。

裁きの物語の途中で、神は立ち止まり、

ヨハネに巻物を食べさせました。

なぜでしょうか。

それは、さばきの中心に、

救いの計画があるからです。

「もはや時は残されていない」でも、今日のあなたにはまだ時があります。

その時を使って、神に向かって、たった一言でいい、こう言っていただけますか。

「神よ、私はあなたのことをよく分かりません。

でも、もし本当におられるなら、

どうか私に語りかけてください。」

これで十分です。

神はその祈りを聞いておられます。

どうか今日、心を開いてみませんか。

アーメン。


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