創世記14章・15章:信仰による義と神の約束

礼拝メッセージ

【説教導入】
皆さん、おはようございます。
今朝は創世記14章から15章をご一緒に学びたいと思います。
この二つの章には、アブラムの信仰の歩みにおける、非常に重要な出来事が記されています。
14章では戦いと勝利が、そして15章では、聖書全体の中でも最も重要な宣言の一つが記されているんですね。
それは「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」という言葉です。
この言葉は後に、使徒パウロがローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙で引用して、
信仰による義認という、福音の核心的な教えを説明するために用いています。
では、この二つの章から、神様が私たちに何を語っておられるのか、
今日のメッセージは次の三部構成で
第一部(14章) – 勝利と礼拝
第二部(15章1-6節) – 信仰による義認
第三部(15章7-21節) – 契約の確立
ご一緒に見ていきましょう。

では、旧約聖書の14章をお開きください。

第一部:創世記14章 「信仰の戦いとメルキゼデクの祝福」

ロトの危機とアブラムの行動(1-16節)

まず14章です。ここには、当時の国際情勢が描かれています。
メソポタミアから来た四人の王たちの連合軍が、
死海の周辺の五人の王たちを攻撃したんですね。
そしてその戦いの中で、アブラムの甥であるロトが、
ソドムの住民と共に捕虜として連れ去られてしまいました。

皆さん、ここで思い出していただきたいことがあります。13章で、アブラムとロトは別れましたね。
ロトは自分の目で見て、ソドムの地方を選びました。よく潤った、豊かな土地でした。
しかし、そこは罪深い町だったんです。
ロトは世俗的な繁栄を求めて、危険な場所を選んでしまった。そしてその結果、
この戦争に巻き込まれてしまったわけです。でも、アブラムはどうしたでしょうか。

14節を見てください。「アブラムは自分の親類の者が捕虜になったことを聞いて、
彼の家で生まれて訓練された者318人を引き連れて、」と書いてあります。
アブラムは躊躇しませんでした。すぐに行動を起こしました。318人の訓練されたしもべたちを率いて、ロトを救い出しに向かったんです。
ここに、私たちが学ぶべき大切な教訓があります。

第一に、信仰者には家族への責任があるということです。
ロトはアブラムを困らせた甥でした。自分勝手な選択をして、離れて行った人でした。
でもアブラムは、彼を見捨てませんでした。危険を冒してでも、救い出しに行ったんです。
私たちも、家族の中に、信仰から離れている人がいるかもしれません。
私たちを困らせる人がいるかもしれません。それでも、
私たちには彼らのために祈り、必要な時には助ける責任があるんです。

第二に、神と共に歩む者には、勝利が与えられるということです。
15節を見てください。アブラムの戦術は夜陰に乗じてのゲリラ戦法でした。
ケドルラオメルの軍勢をダマスコ北のホバまで追撃し勝利を収めました。
318人で、四人の王の連合軍に勝ったんです。これは人間的には不可能なことでした。
歴史家ヨセフスは、ケドルラオメル王の部下たちが戦利品で酔っぱらっていたと記録しています。
でも、神様がアブハムと共におられたから、勝利できたんですね。

メルキゼデクは王であり祭司との出会い(17-20節)

さて、この勝利の後、非常に興味深い出来事が起こります。
18節から見ていきましょう。
「サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった」
突然、メルキゼデク ( מַלְכִּי־צֶדֶק ) という人物が登場します。
彼はサレム、つまり後のエルサレムの王であり、同時に「いと高き神の祭司」でした。

この人物は、聖書の中でも非常に神秘的な存在です。父母の系図も、生涯の始まりも終わりも記されていません。
そして、ヘブル人への手紙7章では、このメルキゼデクは、私たちの主イエス・キリストの型、予型であると説明されているんです。
メルキゼデクはアブラムを祝福しました。そして、アブラムは戦利品の十分の一を彼に捧げたんです。
これは何を意味しているでしょうか。
アブラムは、メルキゼデクのうちに、自分より偉大な霊的権威を認めたということです。
そして、神様への感謝を、献金という形で表したんですね。

この献金は、モーセの律法が与えられるずっと前のことです。つまり、
律法で命じられたからではなく、自発的な感謝と礼拝の表れだったんです。
私たちの献金も、そうあるべきではないでしょうか。義務としてではなく、
神様の恵みへの感謝として、喜びをもって捧げる。そういう心が大切なんです。

ソドムの王の申し出を拒否(21-24節)

さて、21節から、もう一つ重要な場面があります。
ソドムの王が言いました。「人は私に返し、物はあなたが取ってください」と。
戦利品を自由に取っていいと言ったんですね。これは、アブラムにとって、大きな富を得るチャンスでした。
でも、アブラムは何と答えたでしょうか。
22節から23節です。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓った。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない」

なぜでしょうか。
アブラムは言います。「それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ」と。
皆さん、これは信仰者の態度として、とても大切なことです。
アブラムは、世俗の王から富を受け取ることを拒否しました。なぜなら、
神様だけが、自分を祝福する方であると知っていたからです。

私たちも、この世の価値観や方法によって成功や富を求める誘惑に、直面することがあります。
でも、アブラムは教えてくれています。
神様との関係を第一にすること。神様だけが、真の祝福の源であることを忘れないこと。
たとえ目の前に大きなチャンスがあっても、それが神様のみこころでなければ、手を出さない。そういう信仰の決断が、私たちには求められているんです。

第二部:信仰義認という救いの原理(創世記15章1-6節)

さて、15章に入ります。

  1. 恐れるな
    1節、「これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい』」
    戦いの後、神様がアブラムに語りかけられました。「恐れるな」と。
    なぜ、神様は「恐れるな」と言われたんでしょうか。
    おそらく、アブラムの心には恐れがあったんですね。四人の王たちに敵対した。もしかしたら、彼らが復讐に来るかもしれない。そういう不安があったかもしれません。
    でも、神様は言われました。「わたしがあなたの盾である」と。

皆さん、神様は私たちの盾です。神様が守ってくださる。だから、恐れる必要はないんです。
そして「あなたへの報いは非常に大きい」と約束されました。
アブラムはソドムの王からの報いを拒否しました。でも、神様からの報いは、それよりもはるかに大きいものだったんです。

  1. 子がいないという現実
    でも、アブラムは心の中に、一つの大きな悩みを抱えていました。
    2節から3節です。”「アブラムは言った。『神、主よ。あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。私の家の相続人は、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか。』」”
    神様は祝福を約束された。でも、子どもがいない。このままでは、家のしもべであるエリエゼルが相続人になってしまう。
    アブラムは、神様の約束と、自分の現実の間で、葛藤していたんですね。

皆さん、私たちも同じような経験をすることがあるのではないでしょうか。
神様は約束してくださった。でも、現実は変わらない。時間だけが過ぎていく。
この時、アブラムは75歳でカナンに来てから、すでに10年が経過していました。でも、まだ子どもは与えられていなかった。
妻のサライも、もう高齢です。人間的に考えれば、もう不可能な状況でした。

  1. 星を数えてみよ
    でも、神様は何と言われたでしょうか。
    4節から5節です。”「『その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれる者が、あなたの跡を継がなければならない』そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい』」”
    そして、こう言われました。「あなたの子孫はこのようになる」と。
    想像してみてください。夜空を見上げるアブラムの姿を。無数の星が輝いています。数えきれないほどの星です。
    神様は言われました。「あなたの子孫は、この星のように多くなる」と。人間的には不可能です。でも、神様には不可能なことはありません。
    そして、6節、聖書全体の中でも最も重要な宣言の一つがここに記されています。
    “「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」”
  2. 信仰による義認
    この一節、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」
    これは、福音の核心です。アブラムは何をしたんでしょうか。特別な善行をしたわけではありません。
    律法を守ったわけでもありません。まだ律法は与えられていませんでしたから。
    アブラムは、ただ神様を信じただけです。神様の約束を信じただけです。人間的には不可能な約束でした。でも、アブラムは、神様ならできると信じたんです。そして、神様は、その信仰を義と認められました。

これが、「信仰義認」という教理です。
皆さん、これが福音なんです。これが、私たちの救いの基礎なんです。私たちは、神の前に立つための正しい行いを積み重ねることはできません。しかし、イエス・キリストの十字架の業という神様の約束を信じるだけで、「義」と認められ、救われるのです。

ローマ人への手紙4章で、パウロはこのアブラハムの例を引用して、こう言っています。
“「聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。」(ローマ4章3節)”
そして、ガラテヤ人への手紙3章6節でも、”「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」”と引用されています。

これは、旧約時代の人々も、新約時代の私たちも、救われる道は同じだということを示しているんです。
アブラムの時代から、救いの原理は全く変わっていません。ただ信仰によって。ただキリストによって。ただ恵みによって。

第三部:契約の確立(創世記15章7-21節)

  1. 確信を求めるアブラム
    さて、神様は続けて言われました。7節”「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である」”
    これに対して、アブラムは尋ねました。
    8節”「神、主よ。私がそれを所有することが、何によって分かるでしょうか」”
    これは、不信仰の質問でしょうか。
    いいえ、そうではありません。アブラムは信じています。でも、より深い確信を求めているんです。
    私たちも、時には神様に尋ねることがあるでしょう。「本当ですか。確かですか」と。
    それは悪いことではありません。神様は、私たちの弱さを理解してくださいます。そして、神様はアブラムに、確かなしるしを与えてくださいました。
  2. 契約の儀式
    9節から11節、神様はアブラムに、いくつかの動物を持って来るように命じられました。そして、それらを二つに切り裂くように言われました。
    これは、古代近東における契約の儀式でした。通常、契約を結ぶ時、動物を二つに裂いて、その間を、契約の両当事者が通りました。それは「もし私がこの契約を破るなら、この動物のようになってもかまわない」という意味だったんです。

アブラムは動物を裂きました。そして待ちました。
12節、”「日が沈みかけたころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして、見よ。大いなる暗闇の恐怖が彼を襲った」”
そして、神様は預言を語られました。
13節から16節、アブラムの子孫は、エジプトで400年間、奴隷として苦しむこと。しかし、四代目には、この地に戻って来ること。
なぜすぐに約束の地を与えないのか。
16節”「それは、アモリ人の咎が、それまでに満ちることはないからである」”
神様は忍耐深い方です。アモリ人、つまりカナン諸民族が広く行っていた偶像礼拝や、その神々(バアル、モレク、アシェラなど)への儀式、レビ記18章で見れますが、さばきに値するまでになるのを待っておられるんです。
神様のタイミングは、完璧です。

  1. 神だけが契約の間を通る
    そして、17節、決定的な瞬間が来ます。
    “「日が沈んで暗くなったとき、見よ、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、切り裂かれた物の間を通り過ぎた。」”
    煙の立つかまどと、燃えているたいまつ。これは神様の臨在を表しています。
    そして、注目していただきたいのは、神様だけが、その切り裂かれた動物の間を通られたということです。
    アブラムは通りませんでした。神様だけが通られたんです。

これは何を意味しているでしょうか。通常の契約では、両方の当事者が契約の義務を負います。
しかし、この契約では、神様だけが義務を負っておられるんです。無条件契約ですね。これを聖書における「片務契約」と言います。

これは、一方的な恵みの契約なんです。アブラムが約束を守るかどうかに関わらず、神様は必ず約束を果たされる。そういう契約なんです。

皆さん、これが福音です。これが、神様と私たちの関係の基礎なんです。私たちが神様を愛し続けられるかどうか。私たちが忠実であり続けられるかどうか。それに関わらず、神様は約束を守ってくださる。神様は真実な方です。

もちろん、私たちも神様に従うべきです。聖い生活を送るべきです。
でも、私たちの救いは、私たちの行いにかかっているのではありません。神様の一方的な恵みによるものなんです。
18節”「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。」”
神様は契約を結ばれました。確かな約束をされました。

【14章と15章のまとめ】結論と適用

愛する兄弟姉妹の皆さん。今朝、私たちは創世記14章と15章から、多くのことを学びました。

第一に、神様と共に歩む者には勝利があるということ。
アブラムは318人で、大軍に勝ちました。
人間的には不可能でした。でも、神様が共におられたから、勝利できたんです。
私たちも、人生の中で戦いに直面します。試練に直面します。
でも、恐れる必要はありません。神様が私たちの盾です。神様が共にいてくださいます。

第二に、霊的なことを優先するということ。
アブラムは、ソドムの王からの富を拒否しました。なぜなら、神様だけが真の祝福の源だと知っていたからです。私たちも、この世の価値観ではなく、神様の価値観に従って生きるべきです。

第三に、そして最も重要なこと、信仰によって義と認められるということ。
アブラムは、ただ神様を信じました。それが義と認められました。
私たちも、ただイエス・キリストだけを信じる信仰によって、神様の前に義と認められるんです。
自分の行いによってではありません。自分の努力によってではありません。
ただ、ただキリストの十字架の贖いを信じる信仰によって。

第四に、神様の約束は確かだということ。
神様は一方的な恵みの契約を結ばれました。神様だけが、その契約の間を通られました。
私たちの救いは、私たちの忠実さにかかっているのではなく、神様の真実さにかかっているんです。
神様は約束されたことを必ず成し遂げられます。
だから、私たちは希望を持つことができます。たとえ今、約束が実現していないように見えても。
たとえ今、状況が変わらないように見えても。神様の時に、神様の方法で、必ず約束は実現します。

最後に、神様の時を待つということ。
アブラムは75歳でカナンに来ました。神様は子孫の約束をされました。
そして、イサクが生まれたのは25年後、アブラムが100歳の時でした。
四半世紀もの長い間、待ち続けたのです。
でも、神様の約束は実現しました。

伝道者の書3章11節にこう書かれています。
“「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」”
神様の時は、最善の時です。早すぎることも、遅すぎることもありません。
私たちも、忍耐をもって待つことが求められています。
たとえ幾年かかっても、神様の約束は必ず実現します。そして、その時が来た時、私たちは知るのです。
ああ、これが神様の最善の時だったのだと。

【招き】
愛する皆さん、また、オンラインで参加された方。
今朝、もし、あなたがまだイエス・キリストを信じていないなら。
今日が、あなたの救いの日です。
行いによって救われるのではありません。
ただ信じるだけで、神様はあなたを義と認めてくださいます。

もし、あなたが既に信じているなら。今日、改めて、神様の約束の確かさを覚えましょう。
あなたの救いは確かです。なぜなら、それは神様の真実さにかかっているからです。
そして、人生の中で、待たされている約束があるなら。忍耐をもって待ちましょう。神様の時は、最善の時です。

伝道者の書3章11節が教えています。”「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」”
早すぎることも、遅すぎることもありません。神様の時は、完璧です。
アブラムは25年待ちました。でも、その時が来た時、すべてが美しかったのです。
お祈りしましょう。
(祈り)
天の父なる神様。
今朝、あなたのみことばを開くことができたことを感謝します。
アブラハムを通して、信仰による義について教えてくださったことを感謝します。
私たちは自分の行いによっては、決してあなたの前に義とされることはできません。
でも、イエス・キリストを信じる信仰によって、あなたは私たちを義と認めてくださいました。
この恵みを、心から感謝します。
また、あなたの約束は確かであることを教えてくださり、ありがとうございます。
あなたは真実なお方です。必ず約束を果たされるお方です。
私たちの人生の中で、待たされていることがあるかもしれません。
でも、あなたの時に、あなたの方法で、必ず最善をなしてくださることを信じます。
聖霊様が共に歩んでくださり、導いて下さっていること感謝します。
どうか、私たちに忍耐を与えてください。信仰を強めてください。
そして、あなただけを頼りとして生きることができますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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