皆さん、おはようございます。
「神様が、神の僕を殺そうとされた。
いや、これは別の箇所ですね。でも関連しています。
今日の箇所には、もっと驚くべきことが書いてあります。
99歳の男性と90歳の女性に、子どもが生まれる。
医学的に不可能です。
人間的にありえません。
常識では説明できません。
でも、それが神様の方法なんです。
以下の、二つの章に分かれています。
16章:『もう無理だ』と諦めた人間の物語
17章:『わたしには何でもできる』と言われる神の物語
あなたの人生で、『もう無理だ』と思っていることはありますか?
あなたの状況で、『不可能だ』と感じていることはありますか?
今日の物語は、あなたに語りかけます。
『人には不可能なことが、神にはできるのです』」
創世記16章:ハガルとイシュマエルの物語
サライの提案 – 待てなかった信仰(16:1-3)
皆さん、サライの気持ち、分かりますか?神様は約束してくださった。子どもが与えられるって。でも何年待っても、何も起こらない。彼女はもう75歳を過ぎていたんです。
それで彼女は考えたわけです。「もしかしたら、神様は私たち自身が何か行動することを期待しておられるのかもしれない」って。
当時の文化では、妻が子どもを産めない場合、女奴隷を通して子どもを得るというのは普通のことでした。実際、古代の法律文書(ヌジ文書)にもそういう記録が残っています。だから、サライにとっては、これは理にかなった解決策に思えたんですね。
でも、ここに大きな問題があります。これは神様の約束を信じて待つことができなかった、人間的な解決策だったんです。
私たちも同じじゃないでしょうか?神様の時を待てないで、自分の方法で問題を解決しようとしてしまう。祈っても答えが来ない時、「神様、もう自分でやります」って言ってしまうことがありませんか?
人間的解決の結果:家庭の混乱(16:4-6)
ハガルが妊娠すると、何が起こったか。彼女はサライを見下すようになったんです。そりゃそうですよね。「私は子どもを産めるのに、あなたは産めない」っていう優越感が生まれてしまった。
そしてアブラハム、彼はどうしたか。「それは君の問題だ。好きにしなさい」って、責任を放棄してしまったんです。
サライはハガルを虐待し、ハガルは逃げ出す。
見てください。一つの人間的な解決策が、こんなにも多くの痛みと苦しみを生み出してしまった。
罪というのは、いつもこうなんです。「これぐらいなら大丈夫」と思って始めたことが、予想もしなかった結果を生んでしまう。
荒野での出会い:見ておられる神(16:7-14)
ここからが素晴らしいんです。
ハガルは荒野を逃げています。彼女は女奴隷です。当時の社会では、最も弱い立場の人間です。誰も気にかけてくれない存在。
でも、神様は彼女に現れてくださったんです。「主の使い」という形で。それは、人間に近づくために、見える形をとってくださった神ご自身です。
そして注目してください。神様は彼女を「ハガル」って、名前で呼んでいるんです。これはすごいことなんですよ。神様は彼女を一人の人格として、個人として見ておられる。
ハガルは言います。「エル・ロイ( אֵל רֳאִי )」、つまり「私を見てくださる神」って。
神様は、社会が見捨てる人を見ておられる。誰も気にかけない人を、神様は名前で呼んでくださる。あなたが孤独だと感じる時、誰もあなたのことを気にかけていないと思う時、神様はあなたを見ておられる。あなたの名前を知っておられる。
帰還とイシュマエルの誕生(16:15-16)
イシュマエルという名前、これは「神は聞かれる」という意味なんです。
このイシュマエルも神様の配慮の対象です。後で見ますけど、神様は彼にも祝福を約束されます。
でも、この子は契約の子、約束の子ではないんですね。それはこの後に生まれるイサクです。
この章から学ぶこと
神様の時を待つって、本当に難しい。でも必要なこと。
私たちの計画と神様の計画は違う。私たちの方法は、しばしば痛みを生む。
でも神様は、私たちの失敗の中でも働いてくださる。
そして神様は、弱い立場の人、忘れられた人を、特別に気にかけてくださる。
創世記17章:アブラムからアブラハムへの改名
神の再顕現と新しい啓示(17:1-2)
皆さん、16章の終わりと17章の始まりを比べてみてください。イシュマエルが生まれた時、アブラムは86歳でした。そして17章1節、アブラムは99歳です。
つまり、13年間、何も起こらなかったんです。神様は何も言われなかった。
13年間の沈黙です。アブラハムは「あぁ、やっぱりイシュマエルが約束の子だったんだ」って思い始めていたかもしれません。
そこに神様が現れて言われます。「わたしは全能の神である」って。
「全能の神」はヘブライ語で( אֵל שַׁדַּי エル・シャダイ)この神のみ名は、ここで初めて聖書に登場します。「全能」という意味は、人間にとって不可能なことでも、わたしにはできる。わたしは全能だから、あなたたちに子どもを与えることができる方です。
99歳と89歳の夫婦に子どもが生まれることは不可能です。でも、全能の神にとっては可能なんです。
1節後半は「わたしの前に歩み、全き者であれ」と主は言われました。
以前学んだ6章9節を覚えていますか。「ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」とありました。
これは完璧になれという意味ではありません。誠実に、純粋に、神とともに歩め、神様だけに従え、という意味です。
アブラムはイシュマエルに頼ろうとしていたかもしれません。「もう神様の約束は成就した。イシュマエルが私の後継者だ」と考えていたかもしれません。
でも神様は言われます。「いや、わたしの計画はまだ完成していない」
契約の再確認と拡大(17:3-8)
アブラムからアブラハムへ
「あなたの名は、もう、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである」(17:5)
アブラムという名は「高められた父」という意味でした。
アブラハムという名は「多くの国民の父」という意味です。
名前の変更は、アイデンティティの変化を表します。神様は彼に新しい使命と運命を与えられたんです。
・アブラム אַבְרָם (「高貴な父」) → アブラハム אַבְרָהָם (「多くの国民の父」)へ
・サライ שָׂרָי (「私の姫」) → サラ שָׂרָה (「女王、女主人」)へ
このヘブル語アレフベートの5番目 ה(ヘー)に注目である。神のみ名を表す神聖4文字「 יהוה (ヤハウェ)」。ここにはヘブル語の ה(ヘー)が2つ入っています。 ה(ヘー)の発音部分はほとんど息になります。そのことからユダヤ教のラビの中には「呼吸することは、神に祈ることなのだ。」と唱えます。
そして神様は三つのことを約束されます。
第一に、子孫の約束:「多くの国民の父とする」
第二に、土地の約束:カナンの全地を、永遠の所有として与える。
第三に、関係の約束:これが一番大事です。「わたしは彼らの神となる」
この契約は、アブラハムが何かをしたから与えられたんじゃないんです。神様の一方的な恵みなんです。神様が選んで、神様が約束して、神様が実現される。これが恵みです。
割礼- 目に見えるしるし(17:9-14)
神様は言われます。「あなたがたは、わたしの契約を守らなければならない」
その契約の「しるし」を(ヘブライ語: אות オート)と言います。
それが「割礼」です。(ブライ語:בְּרִית מִילָה ブリット・ミラ、ブリス)
生まれて8日目の男の子に施されます。これはモヘルというプロの割礼師が居まして、割礼する赤ちゃんの唇に麻酔がわりにワインをちょんちょんと垂らして、包皮をチョンとメスで切り取るのです。ユダヤ人男性にとってとても大事な神様との契約の日です。古今からセレモニーとして盛大なお祝いをしています。
14節では「このしるしを受けない者は、民から断たれる」と、厳しいことも言われています。これは契約の民に属しているという「しるし」なんです。ですからこれは命令です。割礼は選択ではなく、必須でした。
信仰には、目に見える「しるし」が伴うんです。私たちの時代で言えば、水の洗礼(バプテスマ)ですね。心の中で信じているだけじゃなくて、それを外に表すしるしがある。「私はこの神様の民に属しています」っていう表明です。
サラへの約束 – 笑いの奇跡(17:15-22)
神様は続けて言われます。「サライ」じゃなくて「サラ」と呼びなさい、って。
そして、「彼女はあなたに男の子を産む」って。
皆さん、ここでアブラハムがどうしたか見てください。「ひれ伏して、笑った」んです。
100歳の自分と、90歳の妻サラに、本当に子どもが生まれるんだろうかって。
でも、この笑いは、嘲りの笑いじゃないんです。驚きと、信じられないような喜びが混じった笑いなんです。
それで神様は言われます。「その子の名前をイサクとしなさい」って。イサク( יצחק )っていう名前は「彼は笑う」という意味なんです。
アブラハムは、イシュマエル( ישמעאל )のことも心配しています。「イシュマエルが御前で生きますように」って。
神様は答えられます。「イシュマエルも祝福する。でも、わたしの契約を立てるのはイサクとだ」って。
神様は、人間的には不可能なことをされるんです。100歳と90歳の夫婦に子どもが生まれる?医学的にはありえない。でも、神様には可能なんです。あなたの人生で「もう無理だ」と思えることがありますか?神様にとって、遅すぎるということはないんです。
従順の実行(17:23-27)
見てください、アブラハムの反応を。
「その日のうちに」、彼は神様の命令を実行したんです。
99歳の自分自身も割礼を受け、13歳のイシュマエルも、家のすべての男子も。
痛かったでしょうね。大変だったでしょうね。
でも、彼は「その日のうちに」やったんです。
本物の信仰は、すぐに行動に表れるんです。「いつかやります」じゃなくて、「今日やります」なんです。神様が語られたら、従う。理屈じゃなくて、信頼して従う。
説教の結論:全能の神への信頼
この二つの章は、私たちに根本的な問いを投げかけています。
「あなたは誰を信頼していますか?」
自分の計画ですか。
自分の知恵ですか。
自分の力ですか。
それとも、全能の神ですか。
アブラハムとサラの物語は、不完全な信仰の物語です。彼らは失敗しました。人間的な解決を試みました。でも、神様は忠実でしたね。
この説教を準備していて、モーセと妻ツィポラのことを思い出しました。
出エジプト記4章24節からで「血の花婿」と記してあります。
この背景は、神様はモーセをエジプトに遣わそうとしている所、モーセは妻ツィポラ(ミディアン人)と息子たち長男:ゲルショム(גֵּרְשֹׁם)、次男:エリエゼル(אֱלִיעֶזֶר)と一緒で、エジプトに向かう途中の宿泊地でのこと。
突然、主がモーセを殺そうとされた。その理由:モーセが息子たちに割礼を施していなかった。という場面です。
【聖書本文の確認】
“出エジプト記4章
24節 途中、宿泊地でのことだった。主はモーセに会い、彼を殺そうとされた。
25節 そのとき、ツィポラは火打ち石を取って自分の息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付けて言った。「まことに、あなたは私にとって血の花婿です。」
26節 それで主はモーセを放された。このとき彼女は、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。”
緊迫状態でした。主が、僕のモーセを殺そうとされていた所でしたから。
でその解決策は、
・ツィポラが急いで息子に割礼を施す
・切り取った包皮をモーセの「両足」(生殖器の婉曲表現)に触れさせる
・「あなたは私にとって血の花婿です」と宣言
・主はモーセを放される
モーセは、息子の割礼の血によって救われました。
私たちは、イエス・キリストの血によって救われました。
その血が、どれほど尊いものか。
その血が、どれほどの代価だったか。
今日、十字架を見上げましょう。そこに流された血を、決して忘れないようにしましょう
私たちの神様は全能の神です。エル・シャダイです。
人間的に不可能な状況の中で、神様の栄光が最もよく現れます。
今日、あなたが直面している「不可能」は何ですか。
それを全能の神に委ねましょう。
神様のタイミングを待ちましょう。
神様の方法に従いましょう。
そして、約束してくださった方が真実なお方であることを信じましょう。
アーメン。



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