創世記2章は人間とエデンの園の創造

礼拝メッセージ

創世記2章は、天地創造の全体像を描いた1章とは異なり、「人間とエデンの園の創造」に焦点を当てています。この章は、神と人間の個人的な関係の始まりと、人間が神から与えられた役割と責任を詳しく描いています。

人間の特別な創造

天地創造の完成(1-3節)神は6日間で創造の業を終え、7日目に安息しました。

「シャーバァト」שָׁבַתこの意味は安息する・やめる、は神の創造が完全なものであり、祝福に満ちたものであることを示している。

出エジプト記20章、申命記5章にはモーセがエジプトを脱出しシナイ山で神から授けられた「モーセの十戒」の第四戒:「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」とある。

ヘブライ語では「平安な安息日を」「平和な安息日を」と言う挨拶、シャバット・シャローム(שבת שלום)(Shabbat Shalom)。

シャロームは「こんにちは」「さようなら」としても使われる多義的な言葉。イスラエル旅行では現地の子供に「シャローム」と声を掛けられた思い出がある。

安息日は天地創造の記念日である。

「休む」という意味を持つヘブル語「シャーバァト」の他には、メヌホート(מְנֻחוֹת)がある。

ダビデが歌った詩篇23編2節「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」「עַל־מֵי מְנֻחוֹת יְנַהֲלֵנִי」(アル・メイ・メヌホット・イェナハレーニー)

この「いこいの水 (メイ・メヌホート) 」は、詩篇の文脈では、羊飼い(主)が羊(私たち)を静かな水辺(直訳すると「いこいの水辺」)に連れて行く様子を描いている。これは、単に体を休ませるだけでなく、魂が満たされ、安心できる心の平安を象徴している。この言葉は、神が与える完全な安息と静けさを表現するために使われている。

メシア的な安息の預表

後にイエス・キリストが約束される真の安息(マタイ11:28-30)の旧約的表現マタイの福音書11章28~29節

28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

神のマスタープラン新天新地では永遠の安息のひな形。

創世記2章4節の「経緯」解説

創世記は聖書66巻の始まりの書であり、人類の始まりと根源を記してある。また、創世記はアダムからヨセフの死まで、約2300年もの膨大な歴史を50章の中にすべて収めてある。神は、約2300年という途方もなく長い年月の中で世代ごとになされた贖いの摂理を、「系図」という形に圧縮して記録された、物語の転換点である。

「これは…経緯である」について

  • これは「トールドート」(תוֹלְדוֹת)というヘブル語が使われており、「歴史」「系譜」「物語の記録」という意味を持つ。そして、繰り返し出てきて、物語の区切りや新しい展開を示す(例:ノアの物語、アブラハムの物語など)。

マタイの福音書のはじめに「アブラハムの子孫、ダビデの子孫」とあるように、イエス・キリストの系図も、トーレドートの形式を踏んでいる。

人生の起源を振り返る大切さ
この節は「始まりを覚える」ことを教えている。
私たちも自分の人生や信仰の歩みの原点を振り返ることが励ましになる。

「神の名前の登場」について

創世記1章では「」(ヘブル語: エロヒム אֱלֹהִים)という呼び名が使われていたが、2章からは「神である主」(ヘブル語: ヤハウェ・エロヒム יהוה אֱלֹהִים )という呼び名が登場。この「主」(ヤハウェ)という呼び名は、イスラエルの民と特別な契約を結んだ、個人的な関係を持つ神を示す固有名詞です。これにより、物語は宇宙の創造から、神と人間の個人的な関係を描く方向へと転換する。

神との関係を大切にする
「ヤハウェ・エロヒム」という名前は、神が遠い存在ではなく、私たち一人ひとりと親しく関わろうとしていることを示している。
→ 日常の小さなこと(仕事、家庭、人間関係)においても「主は共におられる」と意識することが信仰生活を豊かにする。

「創造の順序」について

1. 「これが、と地が創造されたときの経緯である。」

この部分が示すのは、創世記1章1節から2章3節までの天地創造の物語の「締めくくり」。この表現は、出来事を総括する書記的な形式であり、神がどのようにして宇宙を創造されたかという、壮大なスケールでの物語を終えている。

2. 「神である主が、と天を造られたときのこと」

ここから物語の焦点は、より限定された範囲へと移っていく。創世記1章の「天と地」という順序とは逆に「地と天」という順序になっている。この逆転は、これからの物語が、宇宙全体ではなく、人間が住む「地」を中心とした物語、になることを示唆している。

このように、創世記2章4節~は、壮大な宇宙の創造物語から、人間と神の関係に焦点を当てた、より個人的で詳細な物語へと導く役割を果たしている。

神は地のちりから人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き込んで、生きた者としました。この描写は、人間が物質的な存在であると同時に、神の息吹によって生かされている霊的な存在であることを示唆している。

創世記2章4節からは天地創造の「総まとめ」と同時に、人間の歴史が始まる「序章」です。ここから神と人との関係、エデンの園での生活、そして人類の物語が展開していく。

大きな計画と私の小さな歩み
創世記1章の雄大な天地創造から、2章では一人の人間(アダム)に焦点が当たります。
→ 神は宇宙を造られた方ですが、同時に私の小さな人生にも心を向けてくださるお方です。

エデンの園での使命と戒め

エデンの園と役割(8-15節)神はアダムのためにエデンの園を造り、彼をそこに置きました。園は美しく、多くの木々が生えており、その中心には「いのちの木」と「善悪を知る木」がありました。神はアダムに、園を耕し、守るように命じました。これは、人間が単なる居住者ではなく、神の代理としてこの地を管理する責任を負っていることを意味する。

唯一の禁止事項(16-17節)神はアダムに、園にあるすべての木の実を食べることを許可しましたが、「善悪を知る木」の実だけは食べてはならないと命じました。この命令は、神と人間の関係における信頼と従順の試みでした。

エデン契約とは

聖書に登場する最初の契約として、神と人間(アダム)の間で結ばれたもの。聖書そのものに「エデン契約」という言葉は直接記されていませんが、神がアダムに与えたご命令と、それに伴う祝福と警告をまとめて、神学的に「契約」と呼んでいる。

食物に関する許可と禁止

(創世記1:29-30、2:16-17)神は、園にあるすべての木の実を食べることを許可しました。これは、神が人間に与えた豊かな恵みを象徴している。しかし、「善悪を知る木」からは決して食べてはならないという唯一の禁止事項が課された。

不従順に対する警告(創世記2:17)この契約には、もし禁止事項に背いた場合の結果が明記されている。「それを食べる日には、あなたは必ず死ぬであろう。」 この「死」は、単なる肉体的な死だけでなく、神との関係が断絶する霊的な死を意味する

エデン契約の神学的意味

条件付きの契約: エデン契約は「条件付き契約」と見なされます。なぜなら、神の祝福と命は、人間の「従順」という条件にかかっていたから。

自由意志の試み: 神は人間に自由意志を与え、神の命令に従うか、背くかを自ら選択させた。これは、神と人間の信頼関係を築くための重要な試みである。

契約の破棄: 残念ながら、アダムとエバが「善悪を知る木」の実を食べたことで、この契約は破られました。この出来事が、聖書が教える「原罪」であり、人類全体に罪と死がもたらされる原因となった。

エデン契約は、その後の聖書全体にわたる神の救いの計画の出発点となる。

人間が契約を破った後、神は新たな契約(アダム契約、ノア契約、キリストとの新しい契約など)を通して、人類を罪と死から救うための道を準備していくことになる。

男女関係と結婚の起源

女性の創造と結婚の起源(18-25節)神はアダムが独りでいるのは良くないとし、彼のために助け手となる者(エバ)を創造した。アダムは動物たちに名前をつけますが、彼にふさわしい助け手は見つかりませんでした。そこで神はアダムのあばら骨から女を造り、二人を結びつけました。この出来事は、結婚という制度が神によって定められたものであり、男女が「一体」となることを理想とすることを教えている。

ヘブライ語原文

  • 男 = אִישׁ (’īš/イーシュ)
  • 女 = אִשָּׁה (’iššāh/イッシャー)

男女が互いに補完し合う存在であることを示唆している。

「イーシュ(男)」と「イッシャー(女)」は、語源的にも神学的にも「相互補完・一致」を示すペア。

創世記2章では、女が男から造られ、しかし男も女によって完成するという関係が、ヘブル語特有の言葉の響き、言語的美しさに込められている。

  • 結婚制度は、人間社会の産物ではなく、創造主が定めた秩序である。
  • 二人が「一体」となること、キリストと教会の愛の型として、新約聖書で霊的に解釈される重要な節。

25節:「裸であった」(ヘブル語:עֲרוּמִּים = arummim)二人が衣服を持たない状態を表す。しかしこれは「弱さ」や「欠け」を意味しない。むしろ「ありのまま」「無垢」な状態を指している。

「恥ずかしいとは思わなかった」:恥(ヘブル語:בּוּשׁbush)は、罪や不信頼の結果として生じる感情。

この時点では罪がまだ入っていないため、神との関係・人間同士の関係が完全な信頼と透明さに基づいていた

文脈的意味

  • 創世記3章との対比が重要。
    • 2:25 → 裸でも恥ずかしくない(無垢・信頼)
    • 3:7 → 罪を犯した直後、裸であることを恥じていちじくの葉で覆った
  • 罪の有無によって「裸」の意味が変わる

25節は、堕落前の人間の理想的な状態を描いている。

裸=ありのままの存在。

恥なし=罪がなく、神との関係も夫婦の関係も完全に調和していた。

これは「失楽園」前の人間像であり、キリストにおける最終的な回復(新天新地)への伏線でもある。

創世記2章のまとめ

創世記2章は、神と人間の親密な関係、労働の尊厳、結婚の起源、そして神の命令に従うことの重要性を教えています。それは、人類が罪を犯す前の、完全で平和な状態であったこと。

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