皆さん、想像してみてください。私たちの手元にあるiphoneに、誰もが羨むような「魔法のアプリ」があるとします。このアプリは、あなたの人生のあらゆる問題を解決してくれます。仕事の悩み、人間関係のトラブル、将来への不安…ボタン一つで全てが消え去り、成功と幸福が約束されます。
しかし、このアプリにはただ一つ、非常に単純なルールがあります。それは、「決してダウンロードしてはならない、というルールを破ってはいけない」というものです。開発者は言います。「このルールだけは守ってください。他のことはすべて自由にやって構いません。このルールを破れば、アプリはあなたの望み通りに全てを叶えるでしょう。しかし、それによってあなたは私を裏切ることになります。」
多くの人は、このアプリに魅了されます。「なんて素晴らしいんだ!」と。しかし、ある時、あなたの耳元でささやく声が聞こえます。「なぜ、あなたはダウンロードしないのですか?開発者は、あなたが自分と同じように全知全能になるのを恐れているのです。彼があなたに隠している本当の秘密は、このアプリをダウンロードすれば、あなたが彼のように賢く、そして幸せになれるということです。」
この言葉は、あなたの心を揺さぶります。あなたはアプリのアイコンをじっと見つめ、その誘惑に抗えなくなります。そして、あなたはついに指を伸ばし、ダウンロードボタンをタップします。
この話を聞いて、私たちはアダムとエバを笑えるでしょうか。私たちもまた、日々の誘惑にどう向き合っているでしょうか。今朝は、この人類最初の選択が、私たち自身の人生とどう繋がっているのか、聖書を通して見ていきましょう。
蛇の誘惑とアダムの違反 1-7節
3:1 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
3:2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3:3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
3:7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
蛇の登場
蛇がエバに近づき、狡猾な問いかけをします。「神は、園のどの木からも食べてはならない、と本当に言われたのですか?」と。言葉をねじ曲げ神のことばに対する疑念を心に植えつける。今日も「そんなに厳しく考えなくてもいい」「少しくらいなら大丈夫」と言う声がある。最初の一歩は「御言葉を曖昧にすること」これは神の言葉を疑わせるための最初の策略でした。
我が国日本では白い蛇や黄色の蛇は縁起が良いとされている。また、異邦の世界では、ギリシャ神話に由来する医療アラートのマーク、「アスクレピオスの杖つえ」に巻き付いた蛇は、古代ギリシャの時代から医療と医学の象徴として広く使われている。今話題の、WHO世界保健機構のマークでもあり、クリスチャンドクターの日野原先生がいた聖路加(セント・ルカ)病院では2匹の蛇の『カドゥケウス』が採用されている。
動物が物を言う場面は聖書でもう一箇所ある。民数記22章28節「主がろばの口を開かれたので、」とあり、バラムのロバが語り出した。
聖書から3章1節の蛇の正体を見ると、後の啓示(黙示録12:9)では「悪魔・サタン」と特定されている。天地創造で神は人に、全ての生き物を支配せよ、と仰られたはずである。その動物が人と会話し、人を誘惑し罪に陥れたのである
狡猾とは
ヘブライ語「アールーム」(ערום)は「賢い」「抜け目がない」という意味。
創世記1章で神はご自分の造られた被造物は、蛇も含めて、「それは非常に良かった。トーヴ・メオード」と宣言なされました。この、サタン・悪魔さえも神の主権の下にあることを示唆に含まれている。
イエスキリストは12弟子達を宣教に遣わすときに、
「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」マタイの福音書 10章16節
と仰れました。ここでの賢くは聖書原文ギリシャ語でφρόνιμος (fphronimos)という語が使われています。「神の使命を果たすために状況を見抜き、危険を避け、正しく立ち回る知恵」を指しています。
ですから、キリスト者は単純に「良い人」であるだけではなく、賢さが「ずるさ」にならないように、純真さと愛が伴わねばならない。
エバの前に現れたときの蛇は、ずる賢いとか狡猾という負の面を象徴するのではなく、愛くるしいニャンコやワンコのような形で現れたと思われる。もしも、エバが始めから蛇が狡猾だと感じたり、知っていたのなら、用心したに違いありません。それほどに、蛇が賢かったとしか言いようがありません。
誘惑の三要素
エバが木の実を見たとき、それは「食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするもの」に思えた。欲望と自己実現への願いに心が引かれた。三つの欲望(肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢)が働いた。
蛇の言葉に惑わされたエバは、その実を食べてしまいます。そして、一緒にいたアダムにも与え、アダムも食べました。この行為は、神への不従順、そして「神のようになる」という自己中心的な欲求の表れであり、人間の最初の罪となりました。
罪の結果
実を食べた二人の目が開け、自分たちが裸であることを知りました。彼らは恥を感じ、いちじくの葉で腰を覆い、神から身を隠しました。これは、罪が神との親密な関係を破壊し、恐れと恥をもたらすことを示しています。
霊的な死、肉体の死、世界全体の呪いが始まった。人類の歴史の悲劇はここから出ている。罪は一見小さな選択に見えても、大きな破壊をもたらす。
- このように誘惑はいつも「良さそうに見えるもの」として近づいてくる。
- 私たちは「誰の言葉を選ぶか」で人生が決まる。

罪への神の裁き(8-19節)
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
3:10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」
3:11 主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
3:12 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
3:13 神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」
3:14 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
ところで皆さんは「かくれんぼ」をしたことはありますか?
小さな子どもと遊ぶとき、よく「かくれんぼ」をします。子どもはカーテンの後ろやソファの陰に隠れます。でも足が見えていたり、声が漏れていたりして、すぐに見つかってしまいます。
親は最初からどこに隠れているのか分かっています。それでもあえて「どこにいるの?」と声をかけながら探しに行き、最後には見つけて抱きしめます。
8節からは、まさにこの「かくれんぼ」のような場面があります。アダムとエバは神のことばに背き、禁じられた実を食べてしまいました。そして罪の結果、彼らは恐れ、恥を感じ、木の陰に隠れてしまったのです。
しかし神はそんな彼らを探しに来られました。そして声をかけます。
「あなたはどこにいるのか?」
これはただの裁きの言葉ではありません。隠れてしまった人間を探し出し、もう一度神との関係に戻すための、愛の問いかけでした。
ここからは「堕落と希望」というテーマで、私たち自身への神の問いかけに耳を傾けてまいりましょう。
神の問いかけ
神は園を歩き、アダムとエバを呼びます。「あなたはどこにいるのか?」という神の問いかけは、彼らの居場所を尋ねるだけでなく、彼らの霊的な状態、つまり神から離れてしまったことを問うものでした。
責任転嫁
罪を問われたアダムはエバのせいにし、エバは蛇のせいにします。人間は罪を犯した時、その責任を他者や環境に転嫁しようとする傾向があることが、この箇所に描かれているように、罪の本質は「自分を正当化し、他人を責める」姿に表れる。
呪いと結果
神は、罪を犯した三者(蛇、エバ、アダム)それぞれに呪いを宣告しました。
- 蛇:
地を腹ばいで這い、塵を食べるようになると呪われます。そして、「おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く」と告げられます。この「女の子孫」が蛇(サタン)の頭を砕くという預言は、後の救い主(イエス・キリスト)の到来を予告する、最初の福音(プロトエヴァンゲリオン)と解釈されています。 - エバ(女):
出産の苦しみと、夫に対する欲求、そして夫による支配を宣告されます。これは、人間関係の秩序が歪められたことを示唆しています。 - アダム(男):
彼は土地を耕すことで苦しむようになり、生涯、額に汗して食べ物を得ることになります。そして、最終的に塵に返ることが宣告されます。これは、仕事と生活の困難、そして死が世界に入ってきたことを意味します。
3章15節は原福音
人類の希望の原点であり、聖書全体の救済史の出発点として「原福音」と呼ばれる極めて重要な聖句です。
「わたしは、おまえと女の間、おまえの子孫と女の子孫の間に、敵意を置く。彼はおまえの頭を打ち砕き、おまえは彼のかかとにかみつく。」創世記3:15
「原福音」と呼ばれる理由
1. 最初の救いの約束:堕落直後に語られた、人類への最初の救済の預言だから
2. メシア預言の出発点:後のメシア預言すべての源流となる基本的な約束
神学的解釈
「女の子孫」 → イエス・キリスト
・処女降誕の暗示(男性ではなく女性の子孫)
・人類の代表としての救い主
「蛇の頭を打ち砕く」 → サタンへの決定的勝利
・十字架と復活による悪魔の敗北
・頭を砕くことは致命的な勝利を意味
「かかとにかみつく」 → キリストの受難
・十字架での苦難を預言
・しかし致命傷ではない(復活による勝利)
歴史的発展
この約束は聖書全体を通して展開される:
創世記12:3:アブラハムの祝福「地のすべての民族があなたによって祝福される」(アブラハム契約)
創世記49:10:ユダ族からの王「王権はユダを離れず」
イザヤ7:14:処女からの誕生 処女降誕「見よ、処女が身ごもっている」
ミカ5:2:ベツレヘムでの誕生
新約聖書:キリストによる成就
ガラテヤ3:16 でパウロも「約束は、アブラハムと彼の子孫に告げられました」と言及し、この「子孫」がキリストを指していることを明言している。

神の恵みと追放(20-24節)
3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
3:22 神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
3:23 神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。
以前の呼び方との対比
「女」(イッシャー אִשָּׁה)から「エバ」(ハッワー חַוָּה)へ:
- エバという名: アダムは妻を「エバ」(「生きるものの母」)と名付けます。これは、呪いの中でなお、生命が続くことへの希望を示しています。
神は、アダムとエバをエデンから追放する前に、「皮の衣」を着せました。それは、「救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ」(イザヤ61章10節)とある、旧約聖書で示された「動物犠牲」です。動物犠牲は、神が人となり、罪人の身代わりとなられた、「イエスの十字架の贖い」の啓示です。
- 皮の衣:
神はアダムとエバのために、皮の衣を作って着せました。これは、罪を隠すための人間の不完全な努力(いちじくの葉)に対し、神が動物の死(血)をもって彼らの罪を覆い、恵みを与えたことを象徴しています。多くの注解者は、これを後のイエス・キリストの十字架の犠牲の予型(ひな型)です。 - エデンの園からの追放:
神は、人間が「いのちの木」の実を食べて永遠に生きることがないように、彼らをエデンの園から追放します。これは、罪を抱えたまま永遠に生きるという悲惨な状態を防ぐための、神の憐れみと見ることができます。ケルビム(天使)と燃える剣が置かれ、いのちの木への道は閉ざされました。
愛する皆さん、 創世記3章は「人間の堕落」の章です。
罪によってアダムとエバは神から離れ、恐れ、隠れるようになりました。けれど神は彼らを見捨てませんでした。「あなたはどこにいるのか?」と呼びかけ、覆いを与え、救いの約束を語ってくださいました。
そしてその約束は、イエス・キリストにおいて完全に成就しました。十字架によって、私たちの罪は覆われ、赦され、サタンの力は打ち砕かれたのです。
今、神はあなたにも語っておられます。
「あなたはどこにいるのか?」
・恐れや罪悪感の中に隠れていませんか?
・責任を人に押しつけ、心を閉ざしていませんか?
・神から離れたまま歩んでいませんか?
今日、主の呼びかけに応えましょう。 隠れるのをやめ、ありのままの姿で神の前に出ていきましょう。 キリストがあなたを赦し、覆い、希望を与えてくださいます。
どうぞ今、心を開き、祈りをもって神の愛に応答してください。



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