創世記19章:ソドムとゴモラの滅びと暗闇の中で消えなかった「一点の義」

礼拝メッセージ

皆さん、おはようございます。
前回の振り返りをします。ソドムとはどんな町だったかを学びました。
聖書本文では「叫び」が上がった(18:20)とありますが、「制度化された冷酷さ」でした。
慈善の禁止: ソドムの法律では、貧しい者に食べ物を与えることは死刑に値しました。

「叫び」の正体: ミドラッシュによれば、ロトの娘の一人が貧しい人にパンを隠して与えたことが発覚し、
ソドムの人々は彼女を火あぶりにしようとしました。
彼女の断末魔の叫びが天に届き、神の裁きが決定されたとされます。
ソドムは「愛のない繁栄」の極致でした。

彼らの罪は、弱者を踏みにじる社会構造そのものでした。
今朝の創世記19章は聖書の中でも非常に重い章です。
ソドムとゴモラの滅びと聞くだけで、裁き、怒り、破壊というイメージが湧きます。
今の時代もソドムと同様、道徳的な退廃や暴力、自己中心性が蔓延しています。しかし、
この物語の核心は、単なる「悪い町が滅びた」という勧善懲悪の話ではありません。
「罪の中にどっぷりと浸かっていた一人の信仰者が、いかにして救い出されたか」という
「恵と憐れみの章」です。そして、神の驚くべき「恵みの逆転」が隠されています。

中心にいるのはロトという人物。彼は決して完璧ではありません。
弱さもあれば、判断の誤りもあります。
しかしロトには、暗闇の中でも決して捨てなかった。「一点の義」がありました。
そして神は、その一点を覚えておられました。

本文の構成は以下の4項目
1、1-9節: 旅人(御使い)を迎え入れたロトと、町の男たちの極度の悪行。
2、10-23節: 御使いによるロト家族の避難と、ロトの「ためらい」。
3、24-29節: ソドムとゴモラの滅亡と、ロトの妻の塩の柱。
4、30-38節: 洞窟でのロトと娘たちの行動、モアブ人とアンモン人の起源。

今日は、創世記19章を章全体として味わいながら、
私たちの人生に響く神のメッセージを受け取りましょう。

1節-9節:ソドムにおける御使いたちとロト

本文の背景:

18章では三人の御使いがアブラハムを訪問しましたが、ここでは二人だけがソドムに来ています。
ラビたちは「一人の御使いは二つの使命を果たさない」という原則を教えています。
ソドムに来たのはガブリエルとミカエルの二人で、
ミカエルはロトを救出する使命も担っていました。
これは19章22節で「私は何もできない」と単数形で語られていることからも確認できます。

「門に座るロト」:闇の中でも光を探した人(1節)

19章1節で初めて彼らが「御使い」と明示されます。が、これは読者への説明であり、
ロト自身が御使いと知っていたかは別問題です。高貴な旅人として認識していたでしょう。

そして「ロトはソドムの門に座っていた。」とあります。
ミドラシュによれば、「門に座る」とは単なる位置ではなく、社会的地位を示しています。
ロトはソドムの裁判官または長老の一人となっていました。
しかし、これは彼がソドムの価値観に完全に取り込まれていたことを意味します。

ソドムでは客人を泊めることが禁じられていました。
旅人を助けた者は罰せられたと伝えられています。
そんな町の門に座って、危険を承知でロトは旅人を探していたのです。
暗闇の中で光を選ぶ人だった。
これがロトの「一点の義」です。まだかすかだが、決して消えていない灯火でした。

「ご主人、どうか来てください」:命がけのもてなし(2節)

ロトは天使たちにこう言います。「ご主人方、どうぞしもべの家に…」
ここの「ご主人」は初めて聖書に出てきましたし、ここのみ、一回だけです。
単に旅人への礼儀として「アドニ אדני(ご主人)」と呼んだだけです。(資料を参照して)
ロトはアブラハムの甥として、客人をもてなす習慣を学んでいましたので、宿泊することを勧めます。

しかし、天使が「広場に泊まる」と言うと、ロトは慌てます。
なぜなら広場に泊まる旅人は必ず虐げられるのが、ソドムの常識だったからです。
だからロトは必死に引き止め、ほとんど腕ずくで家に連れて行きます。
善は、ときに勇気の形を取る。危険の中でも善を選んだ。
ロトは完全ではない。しかし捨てていませんでした。
アブラハムから受け継いだ “もてなしの心” を。

ロトのもてなし:「パン種を入れないパン」(3節)

なぜマツァー(種なしパン)?
聖書本文には記されていませんが、ユダヤ賢者の伝統的解釈ミドラシュによれば:
過越の前触れ:年代計算によれば、ニサンの月の15日で、
その日は過越の祭り(ペサハ)の夜だったと解釈します。
後にイスラエルの民がエジプトから急いで出る時も種なしパンでしたね。(出エジプト12章)
このソドムからの脱出も急を要した事態です。ですので時間がなかったから種無しパン。

また、ロトが客人のために塩を求めた時、彼の妻アディット(ソドム出身)は
「この悪しき習慣をここに持ち込むつもりですか」と反対しました。
彼女は家に塩がないと言い、近所を回って塩を求め、その過程で
ロトが旅人を招いたことを皆に知らせました。
これが、群衆がロトの家に集まるきっかけとなりました。
ミドラシュはこれを、後に彼女が塩の柱になった理由の一つとして解釈しています:
「彼女は塩によって罪を犯し、塩によって裁かれた」。

さらにミドラシュは、アブラハムとロトのもてなしを比べます。
・アブラハムは「走って」迎えた。
・ロトは「立ち上がって」迎えた。
「ロトの義はアブラハムほど大きくなかったが、それでも義であった。」と解釈しています。

これは大きな慰めです。神が求めておられるのは完璧な義ではなく、手放さなかった義です。
私たちも同じです。完璧ではない。でも、消えない光があり、その光を消さないこと。

ソドム人の邪悪さ:罪が“文化”になるとき(4–9節)

「若者も年寄りも、民全体が残らず」(4節)
ソドムの男たちは家を包囲し、客人を出せと言います。
ミドラシュ(Sanhedrin 109a)はこう言います。
「ソドムでは弱者を助けた者が罰せられた。」
罪は個人の失敗ではなく、社会の仕組みになっていました。
だからロトの一点の義がますます輝いて見えるのです。闇が深いほど、光は強くなる。

ロトは新約聖書では「義人」

「不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。」(IIペテロ2:7)

と呼ばれつつも、罪深い環境に順応し、妥協して生きていました。
ロトは背後の戸を閉めて、とても信じられないことを言います。娘を暴徒に差し出そうとする異常な提案(8節)は、彼の倫理観がソドムの影響で歪んでいたことを示唆しています。

ロトは義を持っていたが、文化や恐れに押され、価値の優先順位が歪んでしまっていた。
私たちにもある弱さです。善を願いながら、判断を間違える。
信仰を持っていても、恐れに負ける。それでも、神はロトを見捨てなかった。

10–23節:天使の介入:弱い義を守る神

ロトが追い詰められると、天使は家の中から手を伸ばして、ロトを引き入れました。
天使の「手」は無限に伸びるのですね。
この象徴は神の救いの手は、どこまでも届くんですよ。

そして、外の男たちに目つぶしを喰らわせ、盲目にします。
ヘブライ語:סַנְוֵרִים(サンヴェリム)と言いますが、通常の「失明」とは異なる言葉です。
聖書ではここと、列王記下6:18(エリシャの奇跡)のみ使用されています。

「アラム人がエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうか、この民を打って目をくらませてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って目をくらまされた。」列王記下6:18

「大きな叫びが主のもとに届いた」(13節)これは何の叫びか?ロトの娘が貧しい人にパンを与え、ソドム人に発見され、処刑され死ぬ時の叫びが天に届いたのです。

「逃げよ」:救いには“出る決断”が必要(14–22節)
天使は言います。
「命がけで逃げなさい。うしろを振り返ってはならない。」と
言われたにもロトの妻は、聴く耳を持たなかったようです。

救いは「神が連れ出す」と「その人が手放す」の両方が揃わないと完成しません。
神が導いても、心が過去を握りしめていると前へ進めない。

「しかしロトはためらっていた…主の憐れみによって」16節
ロトのためらいの理由?長年住み慣れた家、築いた財産、社会的地位への執着がありました。
「主の憐れみによって」の重要性は、御使いたちが文字通り
「手を取って引き出した」という描写は、神の積極的な救済の働きを表しています。

ロトの懇願とツォアル(18-23節)

ロトは恐れて「小さな町(מִצְעָר ミツアール)、ツォアル(צוֹעַר)」への避難を願い出ます。
神は憐れんでこれを許されます。

24-29節:ソドムとゴモラの滅亡と、ロトの妻の塩の柱

24節「主は硫黄の火を、天から、主の元から降らせた」これは自然現象ではなく、
「主から、主へ」という表現は、直接的な神の裁きを示します。徹底的な裁きが執行されました。
これは罪の結果の深刻さを示しています。

26節「ロトの妻は後ろを振り返ったので、塩の柱になった」
塩の柱になった理由:
1、塩による罪:彼女は客人のために塩を求めることを拒否し、近所に告げ口することで夫の客人たちを危険にさらした
2、不従順:明確な神の命令に背いた
3、過去への執着:ソドムでの生活、家、財産を惜しんだ
4、ソドム的価値観:ソドムの出身であり、その価値観から離れられなかった
「塩によって罪を犯し、塩によって裁かれる」という原則

イエス様の警告: イエス様は終わりの日について語る際、
「ロトの妻のことを思い出しなさい」(ルカ17:32)と言われました。(ルカ17:28〜33節)
体は救いの場所に向かっていても、心がこの世(ソドム)に残っているなら、それは滅びにつながります。

クライマックス:神は“一点の義”を覚えておられた(29節)

29節は重要です:「神はアブラハムを覚えて、ロトを破滅の中から救い出された」
この一節は創世記19章全体の鍵です。

アブラハムの執り成しの祈り(18章)が忘れられなかったこと、
そして義人の祈りがいかに力強いかを教えています。
神は聖人君子を探しているのではなく、暗闇の中でも消さなかった光を探しておられる。
あなたの中にも残されている、一点の義を神は覚えておられます。

後半30–38節:洞窟でのロトと娘たちの行動、モアブ人とアンモン人の起源

最後の箇所は非常に重い場面ですが、聖書は隠さず記します。
・ロトたちはツォアルでも恐れ、山に逃げ洞穴の中に住みます。
・娘たちは本気で全世界が火で滅んだ(ノアの洪水の火の版)と思っていた。

自分たちと父のロトだけが生き残ったと、本気で思い込んだようです。
全てを失い、未来が見えない。
娘たちはこう考えます。「子孫が絶えるのでは」と恐れ、父を酔わせて寝る。
娘たちの動機や行動は、彼女たちが淫乱だったのではなく、
我が子孫・人類を絶やさないための必死の(しかし誤った)使命感によるものでした。

最も議論される箇所31節「世のしきたりに従って」と語っています。
世のしきたり、とは:社会や共同体の中で長年受け継がれてきた、当たり前の習慣、慣習、決まりごとのことですね。

私たちクリスチャンは倫理的土台でもあるモーセの十戒(出エジプト20章)
そして一般的にも、6〜10戒の横の関係(人と人)隣人を愛することは社会的な倫理ですね。

6戒 あなたの父と母を敬え。
7戒 殺してはならない。
8戒 姦淫してはならない。
9戒 盗んではならない。隣人について、偽証してはならない。
10戒 隣人の家(妻、財産など)を欲しがってはならない。」

しかし、彼女たちが知っていた『世』とはソドムだけでした。
彼女たちの『しきたり』はソドムの『しきたり』だったのです。

ソドムの『しきたり』とは:

エゼキエル書は、ソドムの根本的な罪(しきたり)をこう定義しています。

「あなたの妹ソドムの咎はこのようだった。彼女とその娘たちは高慢で、飽食で、安逸を貪り、乏しい人や貧しい人に援助をしなかった。」(エゼキエル書 16:49)

ソドムが単に「性的に乱れた町」であっただけでなく、「弱者を徹底的に排除し、自分たちの富を守るためには冷酷な法律さえ作る、自己中心的な社会」でした。

32節、34節「父の子孫(ザラ)を残そう」という言葉:

「息子」(ベン בֵּן )ではなく「子孫」(ザラ זָרַע )という言葉が使われてます。
これは、神の意図がメシア(救い主)に関わっていたからです。

「父にぶどう酒を飲ませ」「父と共に横になる」と原文の聖書の婉曲表現。
ヘブライ語の微妙さ:聖書は露骨な表現を避けます。しかし、行為は明確です。

ロトは、「娘が床に入ったのも、立ち去ったのも知らなかった」とありますが、これは本当か?と誰しもが疑う。
『知らなかった』は文字通り知らなかった。一方で『知らなかったふりをした』。この真実は神のみが知る。

モアブとアンモンの誕生(36-38節)

こうして、」と36節に記してあります。
聖書は事実を淡々と記録している。この出来事に対して、神は沈黙しておられるということです。 天からの声で「それは罪だ!」と裁く場面はありません。
しかし、沈黙は承認ではありません。
道徳的判断を明示的に加えていない。賞賛も非難もしていない、という事実です。

新約聖書の評価

新約聖書の評価を見ますと、ペテロ第二2:6-8(ロトへの言及)があります。

2:6 また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。
2:7 そして、不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。
2:8 この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。(ペテロ第二2:6-8)

ペテロはロトを二度「正しい人」原文のギリシャ語は(ディカイオス δικαιος)と呼んでいます。
しかし、19章30-38節の出来事には一切触れていません。
ロトの「正しい人・義」はソドムでの態度に基づくもので、
娘たちとの出来事は、彼の「義」の評価に含まれていない。

ロトと娘たちの行為は道徳的に問題がありましたが、神は沈黙し、後の律法(レビ記18章 申命記27章)で
明確に罪とされました。聖書はこの出来事を警告として記録していますが、同時に神の贖いの力も示しています。
神は人間の最も暗い失敗からさえ、救済史を紡ぎ出されるのです。

娘たちたちから生まれた二人の息子、
姉の子はモアブ(מוֹאָב)と
妹の子はベン・アミ(בֶּן־עַמִּי)(アンモン)で、民族の先祖になりました。

その名前の意味は:モアブ(מוֹאָב)は「父から מֵאָב メ・アヴィ」という意味です。彼女は恥を隠さなかった。
彼女は公然と言った『この子は私の父から生まれた』と。誰が父親か明示し近親相姦の事実を隠していない。

姉と対比する妹の子は、ベン・アミ(בֶּן־עַמִּי)は「私の民の子」と言う意味。
婉曲的に「私の親族の子」で父とは明言しないやや遠回しな表現です。

後のイスラエル民族にとって「棘(とげ)」のような存在となりました。
モアブ人とアンモン人は、歴史を通じてイスラエルを苦しめる敵対国となり、
偶像礼拝の誘惑の源となりました。

申命記23:3では

「アモン人とモアブ人は主の集会に入ってはならない」と記されています。
つまり、「罪の種からは、苦い実が生じる」ということを歴史が証明しています。

この暗い物語の中に、神の驚くべき「恵みの逆転」が隠されています。
人間の罪は恐ろしく、ロトの家族は洞窟の中で倫理的に破綻しました。
この忌まわしい近親相姦によって生まれた「モアブ人」の家系から、
やがて一人の女性が現れます。

それがルツです。
ルツ(モアブの女): 彼女は異邦人であり、呪われた出自の民でしたが、神を信じてイスラエルの民に接ぎ木されました。
ルツのひ孫がダビデ王です。そして、その家系から救い主イエス・キリストの系図に連なります(マタイ1章)。

これが福音です。
神の恵みは人間の罪よりも深いのです。
神は、人間が作り出した最悪の汚点(近親相姦による家系)さえも、聖めてご自身の救いの計画(メシアの系譜)の中に組み込んでくださったのです。

一方、ベン・アミから始まったアンモン人は、ロトの血縁ゆえに約1500年間保護されたが、
継続的な罪と残虐行為により、最終的に民族として消滅しました。
しかし、神は裁きの中でも憐れみと回復を約束され、その主権的支配を示された
(「わたしはアンモン人を回復させる。──主のことば。」エレミヤ49:6)。
彼らの首都名「アンマン」はイスラエルの隣国にあり、今日まで残り神の歴史的介入の記念となっています。

akira
akira

僕は、イスラエルとヨルダンへの聖地旅行を2004年に行きました。
ヨルダンでの宿泊先は首都アンマンにあるアンマンホテルでした。
そこではアンマン町のモスクの塔から、夜明け前に大音量でアザーンが流れてきました。
僕たちにとっては安眠妨害で大迷惑だった、と言う思い出があります。

【結び:あなたの一点の義を神は覚えておられる】

愛する皆さん、オンラインでされた方々、
今日、私たちは創世記19章から、ソドムとゴモラの滅亡、そしてロトの救出という出来事を見てきました。
この章全体は、恐ろしい裁きではなく、弱さのただ中で働く神の憐れみの物語です。

ロトは完璧ではなかった。娘たちも誤った判断をした。
家族はバラバラになり、希望も見えなくなった。

しかし神の救いは、
ロトの一点の義から、
娘たちの必死の思いから、
そしてその後の痛みの歴史から、
最終的に救い主イエス・キリストへとつながっていきます。

あなたの人生にも、「ロトのような弱さ」「娘たちのような誤り」
「洞穴にいるような孤独」があるかもしれません。

しかし、神の恵みはあなたの弱さより深く、あなたの失敗より強く働きます。
そして神は今日、あなたに語っておられます。「あなたの一点の義を、私は忘れない。」

その小さな光こそが、神があなたを救いへ導く入口となるからです。
イエス様は、あなたを滅びから救い出すために、この世に来られました。
”「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)”

そして、十字架で死なれました。あなたの罪のために。
あなたを神様から引き離していたすべての罪のために。
三日目によみがえられました。死に勝利されました。

そして今日も生きておられ、
「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたを救おう」とあなたに語りかけておられます。
イエス様はその光です。主の憐れみに身を委ねて歩みましょう。

お祈り

・お祈りします。
天の父なる神様、
今日、あなたの御言葉を通して語りかけてくださり、ありがとうございます。
ロトを憐れみによって救い出してくださったように、今日、
ここにいる私たち一人ひとりも、あなたの憐れみを必要としています。

どうか、私たちの手を取って、滅びから救い出してください。
過去への執着を断ち切る力を与えてください。
あなたが備えてくださる新しい道を、信仰をもって歩む勇気を与えてください。

今日、あなたを信じると決心した方々を、どうか強めてください。彼らを決して離さないでください。
すでにあなたを信じている者たちを、聖なる生活へと導いてください。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

【招き】
もし今日、「イエス・キリストを自分の救い主として信じます」と告白したい方は、
黒部カリスアガペー教会のHPへ書き込むか、電話をして来てください。
年齢は関係ありません。
若い方も、人生の後半の方も、神様の招きに年齢制限はありません。

「でも、自分は罪深すぎる」と思っている方、
まさにあなたのためにキリストは来られたのです。

「でも、まだ準備ができていない」と思う方、
完璧になってから来る必要はありません。

あなたのそのままで来てください。

今日が、あなたの人生の転換点となるかもしれません。
神様は、今、あなたを招いておられます。
どうぞ、告白してください。

教会HP https://king-lord.org/contact/

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