皆さん、おはようございます。
今朝は創世記10章と11章から、「名を上げる人ではなく、召される人へ」というテーマでお話しします。
この聖書箇所は、一見、まったく異なる二つの部分から成っています。
片方は、70の民族の名前が延々と続く系図。
正直に言えば、読んでいて眠くなるような箇所です。
もう片方は、ドラマチックなバベルの塔の物語。
人間の傲慢と神の裁き。言語の混乱と人類の散乱。
なぜ、聖書はこの二つを並べて記録したのでしょうか?
実は、この二つは、同じ出来事を、異なる角度から語っているのです。
10章は「外側から」見た歴史―民族の広がり。
11章は「内側から」見た歴史―なぜ広がったのか、その理由。
そして、この二つの章の間に、一人の人物が立っています。
ニムロデという名の、「地上で最初の権力者」。彼は、10章と11章をつなぐ橋なのです。
今朝、私たちは、系図と物語、歴史と神学、そして裁きと恵みが、どのように織り合わされて、
一つの美しいタペストリーを形作っているのか、それを見ていきたいと思います。
それでは聖書【創世記10章】をお開きください。
創世記10章は人類の広がりと神の御手
大洪水のあと、神はノアとその家族を祝福されました。
「生めよ、増えよ、地に満ちよ。」
10章ではその言葉どおり、ノアの三人の子、セム・ハム・ヤフェテから多くの民族が広がっていく様子が描かれています。
すなわち大洪水後、人類が世界中にどのように広がったかを記録した「諸国民の系図( תוֹלְדוֹת トールドート)」です。
古代の地名に馴染みがないと、少し退屈なカタカナの羅列に見えますが、
これは神学的・地理的に大きな意味を持つ章です。
ここには七十の国々が登場します。
これは、神が人類の多様性を祝福されたことを示しています。
人種も、言語も、文化も、それぞれが神の創造の一部なのです。
ニムロデは地上で最初の勇士
ハムの子孫には「ニムロデ」という人物が記されています。
彼は地上で最初の勇士、ヘブル語では「力ある者( גִּבֹּר ギボール)」であり、
国を築いた人物として名を残しました。
ニムロデは人間の偉大さの頂点であり、同時に限界でもあります。
彼の業績は11章で語られる人間の傲慢へ、と繋がっていきます。
しかし聖書が言いたいのは、「歴史を動かすのは人ではなく神である」ということです。
どんなに偉大な王であっても、時が過ぎれば名も忘れられます。
財力も権力も、永遠ではありません。
人はみな、神が与えた時と機会の中で繁栄し、また静かに退いていく。
歴史の背後で、真に働かれているのは神ご自身なのです。
創世記10章の結論(32節)
以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。
この結論が示すのは、全人類がもともと一つのルーツ、一つの家族であったという事実です。
これは、パウロがアレオパゴスで説教した次の言葉と完全に一致します。
「神は、一人の人からあらゆる民を創り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。」(使徒17章26-27節)
創世記11章はバベルの塔と族長たちへの移行
創世記 11章をお開きください。
それで、11章に入ると、その祝福がねじれていきます。
「全地は一つの言葉、一つの話し方であった。」
と人々は一致していました。
彼らはシヌアルの地に住み、「さあ、町を建て、頂が天に届く塔を建て、自分たちの名を上げよう」と言いました。
そして、彼らは散らされることを恐れ、「一つにまとまること」によって自分たちの安全を確保しようとしました。
神が「地に満ちよ」と言われたのに、彼らは「散らされるのは嫌だ」と言いました。
そこには、神を中心とした一致ではなく、人間中心の一致がありました。
神の御名ではなく、「自分たちの名」を上げるための一致です。
この心は、創世記3章で蛇がエバに語った「あなたがたも神のようになれる」という誘惑と同じです。
バベルの塔を建て言語の混乱と分散
そこに生まれたのが、バベルの塔でした。
バベルの塔は、人間の傲慢の象徴です。
天に届く塔を建て、神に近づこうとした人間。
しかし聖書はこう語ります。「主が降って来られた。」
人間の塔はどれほど高くても、神の目から見れば「降りて見に行かれるほどに低い」。
人は神に届くことはできません。
神が降られるときにだけ、天と地がつながるのです。
この「降って来られる神」こそ、やがて人となって来られたイエス・キリストを示しています。
神は彼らの言葉を混乱させ、地の全面に散らされました。
それは一見、罰のように見えますが、実は祝福の回復です。
人が自分の計画に閉じこもるとき、神は私たちを「散らす」ことで、「地に満ちよ」という本来の使命に、人間を戻すためです。
私たちの人生にも、思い通りにいかない出来事があります。せっかく積み上げた塔が崩されるような時があります。
それは神が私たちを罰しているのではなく、「あなたはそこにとどまってはいけない」と教えておられるのです。
神は、私たちをもう一度「地に満ちよ」というご自身の目的へと押し出してくださるのです。
バベルの塔で人は「名を上げよう」としました。
しかし神は11章の後半、セムの子孫から「アブラム」(後のアブラハム)という一人の人を選ばれます。
族長たちへ移行
神は彼に言われました。「わたしはあなたの名を大いなるものとしよう。」(12章2節)
人間が自分で名を上げようとしたバベルに対して、神が「あなたの名を上げよう」と約束されたのです。
アブラムの父テラは偶像崇拝者でした、ヨシュア記にこう記されています。
「『あなたがたの父祖たち、アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた。」(ヨシュア24章2節)。
アブラムは、ノアのように「特別な信仰」を持っていたから選ばれたのではありません。
ただただ神のあわれみと主権による選びです。
人が自分で名を上げようとするバベルの道。神が選んで名を与えるアブラハムの道。この二つの道が、ここで分かれます。
バベルの名は「混乱 בָּבֶל 」となり、アブラハムの名は「信仰の父」として永遠に残りました。
この違いはただ一つ、自分のために生きるか、神の召しに応えるか、です。
今日の世界も、バベルのようです。
人間の力で世界を一つにしようとする声が響いています。
テクノロジー、経済、言語がつながり、私たちは「一つ」になったように見えます。
しかしその中心に神がいなければ、それは再びバベルの塔になります。
教会は、人間の力で塔を建てる場所ではありません。
神の御名のもとに散らされた人々が、もう一度「主の名によって」集められる場所です。
バベルで混乱した言葉は、使徒の働き2章ペンテコステの日に、聖霊によって一つにされました。
五旬節の日に聖霊が降ったとき、さまざまな国の人が一つの福音を聞きました。
バベルで分かれた言葉が、聖霊によって一つにされたのです。
神を中心とした一致こそが、真の一致なのです。
神は今日も、私たちの人生にバベルの塔を壊されることがあります。
それは、私たちを召し出すためです。
あなたが「自分の名を上げる人」ではなく、「神に呼ばれる人」となるためです。
主はあなたの名を覚えておられます。
まとめ:塔ではなく、十字架を
バベルの塔と、もう一つの塔があります。
バベルでは、人間が天に届く塔を建てようとしました。「さあ、名を上げよう」。
しかし、神はその塔を見るために「降りて来なければならなかった」。
人間の最高の努力は、神に届きませんでした。
しかし、もう一つの塔があります。ゴルゴタの丘に立てられた十字架です。
そこでは、神が私たちのところまで「降りて来て」くださいました。
・バベルでは、人間が天に上ろうとした
・カルバリでは、神が地に降りて来られた
・バベルでは、人間が自分の名を上げようとした
・カルバリでは、キリストが御名を捨て、十字架の死にまで従われた
・バベルでは、人間の努力が混乱と分裂を生んだ
・カルバリでは、キリストの犠牲が和解と統一をもたらした
使徒パウロは言いました。
「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」(ピリピ人への手紙 2章6-8節)
これが、バベルへの神の最終的な答えです。
私たちが神に届こうとする必要はありません。神が、私たちに届いてくださったからです。
【招き】
愛する皆さん、また、オンラインで参加された方。
今朝、この場所に、二つの塔が立っています。
一つは、バベルの塔。
それは、あなたの努力、あなたの功績、あなたの達成を象徴しています。
「もっと頑張れば」「もっと良い人になれば」「もっと宗教的になれば」―そうすれば、神に届くだろうと思っています。
もう一つは、十字架。
それは、キリストの完成された業を象徴しています。あなたが神に届く必要はない。
神があなたに届いてくださった。あなたがすべきことは、ただ受け取ることだけです。
あなたは、どちらの塔に立ちますか?
もし、あなたがまだキリストを信じていないなら
今朝、招きがあります。あなた自身の塔を建てることをやめて、
キリストの十字架の下に来てください。そこに、あなたの救いがあります。
もし、あなたがクリスチャンであるなら
しかも、まだ自分の努力で神に近づこうとしているなら。今朝、改めて十字架に戻ってください。
すべては、すでに完成しています。
ヨハネ19章30節にはこう記してあります。キリストは十字架上で「テテレスタイ τετέλεσται 完了した」と言われました。
そして、すべての人に
キリストの十字架は、バベルの呪いを解きました。
今や、すべての人が、キリストにあって、神に近づくことができます。
人種、国籍、言語、過去を問わずです。
「この方にあって、私たち二つのものが、一つの新しい人に造り上げられ…一つのからだとして、神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」(エペソ2章15-16節)
今朝、神の招きに応答しませんか?
もし、あなたがまだ神の恵みを経験していないなら、今日、神の選びの愛に応答し、
この救いの共同体の一員となることを、心からお勧めします。
アーメン
もし今日、「イエス・キリストを自分の救い主として信じます」と告白したい方は、
黒部カリスアガペー教会のHPへ書き込むか、電話をして来てください。
年齢は関係ありません。
若い方も、人生の後半の方も、神様の招きに年齢制限はありません。
「でも、自分は罪深すぎる」と思っている方、
まさにあなたのためにキリストは来られたのです。
「でも、まだ準備ができていない」と思う方、
完璧になってから来る必要はありません。
あなたのそのままで来てください。
今日が、あなたの人生の転換点となるかもしれません。
神様は、今、あなたを招いておられます。
どうぞ、告白してください。
教会HP https://king-lord.org/contact/



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