皆さん、
英雄には欠点がない、と私たちは思いたいものです。
聖書の偉人たちも、完璧であってほしいと期待します。
しかし、聖書は驚くほど正直に、信仰の勇者たちの失敗を記録しています。
今日開く創世記9章には、義人ノアの意外な姿が記されています。
洪水の中、神に従順に従い、家族と生き物たちを救った信仰の人ノア。
そのノアが、酒に酔って天幕の中で裸になってしまったのです。
なぜ聖書はこのような恥ずかしい出来事を記録しているのでしょうか。
それは、私たちに重要な真理を教えるためです。
洪水によって悪しき人々は滅ぼされました。
しかし、人間の罪の性質そのものは、洪水によっても洗い流されなかったのです。
義人ノアでさえ罪を犯す。ならば、私たちはどうでしょうか。絶望すべきでしょうか。
いいえ、この章が私たちに示すのは、人間の弱さにもかかわらず、
神は変わることなく恵みの契約を守り続けてくださるという希望です。
今日、私たちは人間の現実と神の恵みという、この二つの真理について共に学びたいと思います。
創世記9章は、洪水後の新しい世界における神と人類の関係を定める重要な章です。大きく3つの部分に分けられます。
- ノアとその子らへの祝福と新しい定め
- ノア契約(虹の契約)
- ノアの失敗とカナンへの呪い
ノアとその子らへの祝福と新しい定め(1-7節)
祝福と命令(1節)
”9:1 神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。”
と命じられます。これは創造の時(創世記1章28節)にアダムに与えられた命令の再確認であり、世界のリセットと新しい始まりを宣言しています。
人間と動物の関係の変化(2-3節)
”9:2 あなたがたへの恐れとおののきが、地のすべての獣、空のすべての鳥、地面を動くすべてのもの、海のすべての魚に起こる。あなたがたの手に、これらは委ねられたのだ。9:3 生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える。”
動物たちは人間を恐れおののくようになり、人間は動物を食物とすることが公に許可されます(洪水以前は草木のみでした)。これは、洪水後の世界における新たな現実です。
しかし、6章を振り返ると、悪の増大の下ではすでに人が肉食をしていたと思われる。
血の摂取禁止に関する規定(4節)
”9:4 ただし肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。”
という制約が与えられます。血は生命そのものを象徴するため、血を含んだまま食することを禁じる規定です。
この規定の目的は、後に動物の血が贖罪の儀式において中心的な役割を果たすこと(レビ記17章)との関連性があると考えられます。そして、その伏線となっていると思われる。
殺人罪の厳罰化と根拠(5-6節)
”9:5 わたしは、あなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。いかなる獣にも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。9:6 人の血を流す者は、人によって血を流される。神は人を神のかたちとして造ったからである。9:7 あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ。」”
神は、獣であれ人であれ、人の命を奪う者からはその命を要求すると定められます。
特に殺人は厳しく禁じられ、「人の血を流す者は、人に血を流される。神がご自分のかたちに人を造られたゆえに」と、その理由が明確に示されます。
これは、人が神の似姿「Imago・Dei」(イマゴ・デイ)として創造されたことの尊厳に基づいています。人間の命の神聖さが強調されています。
最終的には、完全な人間であるイエス・キリストによる贖いの成就へとつながって行きます。
ノア契約(虹の契約)(8-17節)

契約の内容:二度と洪水によって地を滅ぼさないという約束
契約のしるし:虹を雲の中に置き、これを契約のしるしとする
契約の普遍性:これは全人類、全被造物に対する無条件の恵みの契約
契約の締結と対象(8-10節)
”9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。”
神はノアとその家族とにだけではなく、箱舟から出たすべての生き物と、6章18節で予告されていた契約を結ばれます。
契約の内容(11節)
”9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」”
という、神の一方的な約束です。これは、神の恵みと忍耐を示す契約です。
契約のしるし(12-17節)
”9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。9:15 そのとき、わたしは、わたしとあなたがたとの間、すべての肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い起こす。大水は、再び、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水となることはない。9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」9:17 神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」”
虹は単なる自然現象ではなく、神の人類に対する約束を可視化した「公式なしるし」として制定された。
「虹」と訳されているヘブライ語(ケーシェト קֶּשֶׁת )は、正しくは「戦いの弓」と訳されます。主は空に弓を向けることで、象徴的に裁きの武器を自らに向けられたのです。
組織神学者のシンクレア・B・ファーガソンはこう説明しています。
”「創世記で使われている言葉は「虹」ではなく「戦弓(せんきゅう)」です。戦争の弓、戦いの弓です。これは、敵意が終わり、新たな創造を確立した後、神がノアへの安心感として天に裁きの弓を放つ様子を描いています。「今、和解が得られたので、あなたは私との平和を享受することができる。地上にこのような裁きが再び訪れることは決してないだろう。もちろん、世の終わりにすべての人々に下される宇宙的な最終審判までは。」…虹を、敵意が去り、弓に矢がないことを示す、神の軍弓が美しい装飾品に変化したと考えるなら、矢が行き着くことができたのは神自身の心臓だけだったでしょう。」”
虹は神の贖いの恵みと慈悲の象徴です。自然界に新たな意味が付与されました。
・ノアの契約のしるしは、キリストにおける神の贖い、憐れみの福音的なしるしなのです。
”54:9 これは、わたしにはノアの日のようだ。ノアの洪水が、再び地にやって来ることはないと、わたしは誓った。そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。
54:10 たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。──あなたをあわれむ方、主は言われる。”(イザヤ書 54章9–10節)
ノアの失敗とカナンへの呪い(18-29節)
”9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。ハムはカナンの父である。9:19 この三人がノアの息子たちで、彼らから全世界の民が分かれ出た。”
ノアの堕落(20-21節)
”9:20 さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。”
箱舟を出たノアは農夫となり、ぶどう畑を造ります。彼はぶどう酒を飲み、酔って幕屋の中で裸になってしまいます。これは、義人ノアでさえ罪の性質から解放されていないこと(人間の罪性)を示す悲劇的な描写です。
ハムの行動とカナンへの呪い(22-25節)
”9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。9:23 それで、セムとヤフェテは上着を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背け、父の裸は見なかった。9:24 ノアは酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知った。9:25 彼は言った。「カナンはのろわれよ。兄たちの、しもべのしもべとなるように。」”
この部分は難解です。複雑で議論の多い箇所ですが、重要な教訓を含んでいます。
この箇所を表面的に読むと、ノアが怒りのあまりハムを呪ったように見えます。
しかし、実際はそう単純な話ではありません。
著者モーセは意図的に、ハム本人ではなくその子カナンが呪われていることを記しています。
ハムの行為は、彼の子孫であるカナン人が将来行うであろう行動を、あらかじめ暗示していたのです。
ハムと他の二人の兄弟たちの違いはどこにあったのでしょうか?
ハムは父の裸を見ましたが、セムとヤフェテは顔を背け、父の裸を見ようとしませんでした。
一見すると単に「見たか見ないか」の違いのようですが、ここで使われている
ヘブル語の「見る」という動詞には『じっくりと観察する』というニュアンスがあります。
つまり、ハムは父の恥ずかしい姿を見てしまった時、
パッと顔をそらすんじゃなくて、じーっと見ていたのかもしれません。
この態度の背後には、父に対する『あざけり』と『軽蔑』の心が表れています。
・父への不敬
古代イスラエルでは、親を敬うことはモーセ十戒の一つ。父の弱さを見て、それを他人に告げ口することは重大な不敬です。
セムとヤフェテへの祝福(26-27節)
”9:26 また言った。「ほむべきかな、セムの神、主。カナンは彼らのしもべとなるように。9:27 神がヤフェテを広げ、彼がセムの天幕に住むようになれ。カナンは彼らのしもべとなるように。」”
ノアはセムとヤフェテを祝福し、彼らの子孫の繁栄と、セムの子孫の中に神が住まわれること(後のイスラエルと救いの系図)を預言します。
ノアの死(28-29節)
”9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。9:29 ノアの全生涯は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。”
これでノアの生涯が終わります。
まとめ:罪の普遍性と失敗からの教訓
義人ノアでさえ、酔いによる失敗と家族間の罪を犯しました。
これは、救われた者であっても罪の誘惑と戦い続けることの必要性を示します。
適用:
失敗の覆い: ハムの軽蔑的な態度と対照的に、セムとヤフェテの愛と敬意は、信仰者があるべき姿を示しています。私たちは他者の過ちや弱さを裁くのではなく、愛をもって覆い、修復に努めるべきです。
”「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。』(Iペテロ4章8節)”
自己認識: 私たちは、ノアのように、大いなる働きを成し遂げた後であっても、自己満足や油断から罪に陥る可能性があることを自覚し、常に謙遜に歩む必要があります。
この章は、神の恵みと人間の責任、そして家族と社会における倫理的基盤について深く教える章でした。
【招き】
愛する皆さん、また、オンラインで参加された方。
今日の箇所を読んで、私たちは、驚いたかもしれません。
ノアの酔いつぶれ醜態晒し、ハムの不敬虔な態度、そしてカナンへの呪い
この史実は、罪が世代を超えて影響することを示しています。
しかし、神は私たちに悔い改めと赦しの道を開いてくださいました。
あなたはどのような『連鎖』を断ち切りたいですか?
家族の傷ですか?
習慣的な罪ですか?
今日、神の前に正直になり、その重荷を降ろしましょう。
神は、あなたを新しく造り変える力を持っておられます。
聖書はこう言っています。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント人への手紙第二5章17節)
今日の御言葉が教えてくれたことを思い起こしてください。
義人ノアでさえ、罪を犯しました。
新しい世界でも、人間の弱さは残りました。
それでも、神は契約を守り続けてくださるのです。
神の愛は、あなたの失敗よりも大きい。
神の恵みは、あなたの罪よりも深い。
神の契約は、あなたの弱さにもかかわらず、永遠に変わることがないのです。
今日、この神の愛を受け入れませんか。
この恵みの契約の中に、あなたも入りませんか。
神の招きに応えてください。
新しい命、新しい希望、新しい人生が、あなたを待っています。
あなたの弱さを神の前に認めて祈りましょう。
「神様、私は弱い者です。あなたの助けが必要です」と。
どうか、今、心を開き、イエス・キリストをあなたの救い主として受け入れましょう。
(静かに目を閉じ、祈りの時を設ける)
あなたの人生を神様にお委ねし、イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
もし今日、「イエス・キリストを自分の救い主として信じます」と告白したい方は、
黒部カリスアガペー教会のHPへ書き込むか、電話をして来てください。
年齢は関係ありません。
若い方も、人生の後半の方も、神様の招きに年齢制限はありません。
「でも、自分は罪深すぎる」と思っている方、
まさにあなたのためにキリストは来られたのです。
「でも、まだ準備ができていない」と思う方、
完璧になってから来る必要はありません。
あなたのそのままで来てください。
今日が、あなたの人生の転換点となるかもしれません。
神様は、今、あなたを招いておられます。
どうぞ、告白してください。
教会HP https://king-lord.org/contact/



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