ユダヤ暦の新年、ロシュ・ハシャナー:創造と裁きの日

嘆きの壁 ユダヤ暦と祝祭日

ユダヤ暦における新年祭「ロシュ・ハシャナー」(Rosh Hashanah)は、世界中のユダヤ人にとって最も重要な祭日の一つです。グレゴリオ暦では毎年9月または10月頃に迎えられるこの祭りは、単なる年明けの祝いに留まらず、深い霊的意味と伝統に満ちています。ヘブライ語で「年の頭」を意味する「ロシュ・ハシャナー」は、新年の始まりを告げるだけでなく、天地創造が完了した日、そして人類の運命が裁かれる日として、ユダヤ人の信仰と生活の中心に位置づけられています。

西暦2025年9月23日はユダヤ新年5786年なのだ。9月22日夕方~24日夜明けころに祝われます。

ロシュ・ハシャナーの聖書的背景と意味

ロシュ・ハシャナーの起源は、

「イスラエルの子らに告げよ。
第七の月の一日はあなたがたの全き休みの日であり、角笛を吹き鳴らして記念する聖なる会合を開く。 

旧約聖書レビ記23章24節

に記された「第七の月の一日は、あなたがたの全き安息の日、角笛を吹き鳴らして記念する聖なる集会の日としなさい」という神の命令にあります。この「角笛を吹き鳴らす」ことから、「ラッパの祭り」とも呼ばれます。

この祭りは、創造の第六日目に神様がアダムとエバを創造されたことを記念する日とされています。つまり、それは人類の歴史が始まった日、そして神様が世界を完成させた日なのです。それゆえ、この祭りは喜びと感謝の時であると同時に、神様の御前に自らの人生を振り返り、深く内省する時でもあります。

ロシュ・ハシャナーから始まる10日間は、「畏れの日々」と呼ばれ、最も厳粛な期間とされています。この期間は、神様が一人ひとりの人生を裁き、次の1年間の運命を天の書に書き記される時だと信じられています。最終日の「ヨム・キプール」(贖罪の日)で、天の書は封印されると考えられているため、この期間は罪を悔い改め、神様との関係を修復する重要な機会となります。

ロシュ・ハシャナーの伝統と儀式

ロシュ・ハシャナーは、いくつかの象徴的な伝統と儀式によって祝われます。

  1. ショーファール(角笛)の吹き鳴らし:シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)では、羊の角で作られた「ショーファール」が吹き鳴らされます。この音は、人々の魂に深く響き、悔い改めへと促す神の声として、また神が世界の王であることを宣言するラッパとして、重要な意味を持ちます。独特の吹き方には、テキヤ(長い一音)、シェバリーム(三つの短い音)、テルア(九つの短い音)などがあります。
  2. 特別な食事「シーマニム」:家族や友人が集まり、新年に甘く、豊かな一年となることを願って、特別な食べ物をいただきます。これを「シーマニム」(象徴)と呼びます。
    • リンゴとハチミツ:リンゴをハチミツに浸して食べ、「甘い一年になりますように」と祈ります。これはロシュ・ハシャナーの最も有名な伝統です。
    • ザクロ:ザクロのたくさんの実のように、善行が増え、豊かな人生が送れるようにと願います。
    • 魚の頭:「頭(ロシュ)になるように、尾(後)にならないように」という願いを込めて、魚の頭を食べる習慣があります。
    • 丸いパン:編み込みパン「ハラー」を丸く焼いて食べます。これは、一年のサイクルの始まりと終わりがないことを象徴しています。
  3. タシュリクの儀式:ロシュ・ハシャナーの午後には、「タシュリク」(投げ捨てる)と呼ばれる儀式が行われます。人々は水辺に集まり、ポケットのパンくずを水に投げ入れます。これは、自分の罪を水に流し、新たな一年を清められた心で迎えることを象徴しています。

キリスト教徒にとってのロシュ・ハシャナー

ロシュ・ハシャナーはユダヤ教の祭日ですが、キリスト教徒にとっても深い示唆を与えてくれます。聖書は、イエス・キリストの再臨がラッパの音と共に起こると教えています。

すなわち、号令と御使のかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

第一テサロニケ4章16節

終りのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

第一コリント15章52節

ロシュ・ハシャナーのショーファールの音は、私たちに主の再臨への備えを促す音として捉えることができます。

また、悔い改めと自己反省の期間である「畏れの日々」は、私たち一人ひとりが神様の御前に自らの行いを吟味し、赦しを求めることの大切さを改めて教えてくれます。神様は私たちに悔い改めの機会を与え、その恵みによって新しい始まりを歩むことができると、聖書は約束しています。

ロシュ・ハシャナーは、単なるユダヤ暦の新年というだけでなく、神様の創造の御業を覚え、自らの人生を振り返り、神様の裁きと憐れみに思いを馳せる、霊的な深みに満ちた祭日です。それは、私たちすべてにとって、神様との関係を刷新し、祝福された未来を祈り求めるための貴重な機会なのです。

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