創世記12章:アブラムの召命と約束|13章:ロトとの別れと約束の更新

礼拝メッセージ

今朝、皆さんに素晴らしい知らせがあります。
神様は、失敗する人を用いられるということです。
完璧な人だけが神様に用いられるのではありません。

信仰の父と呼ばれるアブラハムも、実は大きな失敗をしたんです。
それは、恐れて嘘をつきました。信仰がぐらついた時もありました。
でも、神様は彼を見捨てませんでした。

神様は彼の不完全さにもかかわらず、いや、時にはそれを通してさえ、
ご自身の素晴らしい計画を進められたんです。

今日、もしかしたら、この中に「私は失敗ばかりしている」
「神様に用いられるような者じゃない」と思っている方がいるかもしれません。
でも、今日の箇所は、そんな私たちに希望を与えてくれます。

神様は、あなたの弱さも、失敗も、すべてご存じです。
それでも、あなたを愛し、あなたを用いたいと願っておられるんです。

今回の内容は以下三つの信仰
1、召命の信仰 ― 神の言葉に従う「出発」(12章1–9節)
2、試練の信仰 ― 失敗しても恵みに立ち返る(12章10–20節)
3、選びの信仰 ― 目に見えるものより、神の約束を選ぶ(13章)
で話して行きます。

さあ、一緒にアブラムの旅を見ていきましょう。
それは、私たち自身の信仰の旅の鏡でもあるんです。

創世記12章:アブラムの召命と信仰の歩み

では、旧約聖書の12章をお開きください。

神の召命と約束(1-3節)

皆さん、ここで神様がアブラムに語りかけられる言葉を見てください。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい」と言われるんですね。

これは単純な引っ越しの話じゃないんです。
神様はアブラムに三つのものを離れるように命じています。
故郷、親族、そして父の家です。
つまり、自分が今まで頼りにしてきたもの、慣れ親しんだもの、
安心できるものすべてから離れなさいと言っているんです。

そして注目していただきたいのは、「わたしが示す地へ」という言い方です。
具体的な場所を教えてくれていないんですね。
つまり、神様は「まず出発しなさい。目的地は後で教えるから」と言っておられるわけです。
これは全面的な信頼を求めているんです。

でも神様は、ただ「行きなさい」とだけ言ったんじゃありません。素晴らしい約束を与えておられます。
数えてみると七つの祝福があるんです。

  1. 大いなる国民にする、2. 祝福する、3. 名を大きくする、
  2. 祝福の基とする、5. あなたを祝福する者を祝福する、6. あなたを呪う者を呪う、
    そして7. すべての民族があなたによって祝福される、と。

ここで覚えていただきたいのは、神様の召しには常に二つの面があるということです。
一つは犠牲、もう一つは約束です。
神様は私たちに何かを手放すよう求めますが、それは必ず大いなる祝福のためなんです。

試練の信仰 エジプトでの失敗(10-20節)

さて、ここからちょっと困った話になります。
約束の地に着いて間もなく、飢饉が起こるんです。

皆さん、考えてみてください。
神様が「ここへ行きなさい」と言って導いた場所で、飢饉に遭うんですよ。
これは信仰の試練ですよね。

でもアブラムは、神様に祈らず、神様に尋ねず、自分の判断でエジプトに下って行くんです。
これが第一の失敗です。

そしてもっと悪いことに、自分の命を守るために、妻のサライを妹だと偽るんです。
これは本当にひどい話ですよね。自己保身のために妻を危険にさらしたんです。

でも、ここで素晴らしいことが起こります。
人間が失敗しても、神様は約束を守られるんです。
神様はファラオに災害を下して、サライを守られたんですね。

ここから私たちが学ぶべきことは何でしょうか。三つあります。
第一に、神様の選びは、私たちが完璧だからじゃないということです。アブラムは信仰の父と呼ばれますが、彼も失敗したんです。
第二に、困難な時こそ、神様への信頼が試されるということです。飢饉という試練の時に、アブラムは人間的な解決策を選んでしまいました。
第三に、神様は私たちの失敗を通してさえ、ご自身の計画を進められるということです。これは本当に慰めですね。

創世記13章: ロトとの分離と選びの信仰

では、創世記13章へ続きます。

信仰の回復と帰還 (1-4節)

信仰の回復と帰還 (1-4節)
13章に入ると、アブラムはエジプトから戻って来ます。
そしてどこに行くかというと、ベテルなんです。「最初に祭壇を築いた場所」に戻るんですね。

これは何を意味しているでしょうか。霊的なリセットです。アブラムは信仰の原点に戻っているんです。
そしてそこで「主の御名を呼び求めた」とあります。

皆さん、私たちも罪を犯したり、失敗したりした時、どうすればいいでしょうか。
神様との関係が壊れた地点に戻って、悔い改めることが必要なんです。
アブラムがベテルに戻ったように、私たちも神様のもとに戻る必要があるんですね。

ここで霊的な意味を見出すことが出来ます。
ベテル=神の臨在との出会いの場所。
エジプト=人間的な頼りに走った場所。
つまり、信仰者にとっての「ベテル」とは、罪や迷いのあとに立ち返る、礼拝と信仰の原点を意味しています。

ロトとの分離とアブラムの寛容 (5-13節)

神に従って祝福された結果、アブラムもロトも財産が増えました。
でも、財産が増えたことで、今度は牧草地をめぐって争いが起こります。
祝福が争いの原因になることもあるんです。

13章7節におけるこの情報の重要性
そして7節には「そのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた」と
アブラムとロトの牧者たちの間に争いが起こった状況を説明する中で、さりげなく挿入されています。
カナン人とは、前回学んだ創世記10章からノアの息子ハムの子孫です。高度な都市文明を持っていて、
バアルやアシェラなどの神々を礼拝していましたので、聖書は、カナン人の宗教的慣習を厳しく非難しています。(申命記7章、20章)

ペリジ人については、カナン人ほど詳しい情報が聖書に記されていません。
しかし興味深いことに、士師記1章4-5節では、ペリジ人がカナン人と一緒に戦っている場面があります。

当時、カナンの地は完全に異教徒の地でした。アブラムとロトは少数派であり、外国人でした。
もし彼らが内部で争って弱っているところを見せたら、どうなるでしょうか。カナン人やペリジ人に攻撃される可能性があったんです。
つまり、この一文は「団結が必要な状況なのに、争っている」という皮肉を表しているんですね。

次にアブラムの対応を見て行きます。
「争いがあってはならない。私たちは親類同士なのだから」と言って、ロトに選択権を与えるんです。

考えてみてください。アブラムは年上です。叔父さんです。当時の文化では、年長者に選ぶ権利があったんです。
でもアブラムは自分の権利を放棄して、ロトに先に選ばせるんですね。これは成熟した信仰の表れです。

そしてここで、二人の価値観の違いが明らかになります。
ロトは何を基準に選んだでしょうか。「目を上げて見た」とありますね。目に見える豊かさです。
ヨルダン川の低地全体が、よく潤っていて、主の園のようだったと。それでロトはソドムの方向を選ぶんです。

一方、アブラムはどうでしょうか。残されたものを受け入れるんです。神様の約束に依存して、譲るんですね。
ここに大切な教訓があります。目に見えるものだけで判断すると、しばしば霊的な危険を見落としてしまうということです。
ソドムは豊かに見えましたが、実は邪悪な町だったんですね。
そして、真の信仰者は自分の権利を主張するより、平和と神様の御心を優先するということです。
でも、譲った人は損をするんでしょうか。いいえ、決して損をしません。
これから見ていきましょう。

神の再度の約束と視野の拡大 (14-18節)

ロトが去った「後」、神様はアブラムに語りかけます。このタイミングが重要なんです。
人間的なものを手放した後に、神様の啓示が来るんですね。
神様は言われます。
「目を上げて、あなたがいる所から北、南、東、西を見渡しなさい。あなたが見ているすべての地を、わたしはあなたとあなたの子孫に永久に与える」と。

先ほど、ロトが「目を上げて見た」とありましたね。でも今度は、
神様が「目を上げて見なさい」と言っておられるんです。
同じ「見る」という行為でも、全く違うんです。

ロトは自分の欲望で見ました。でもアブラムは、神様の約束の目で見るように招かれているんです。
そして約束がより具体的に、より大きくなっています。
見えるすべての地を「永久に」与える。子孫を「地のちりのように」数えきれないほどにする、と。
アブラムは何をしたでしょうか。また移動して、ヘブロン( חֶבְרוֹן )で祭壇を築くんです。礼拝ですね。
信仰の応答はいつも礼拝なんです。

このヘブロン( חֶבְרוֹן )は、ヘブル語直訳すると 「交わり」「友愛」「結びつき」 の意味があります。
ですから「ヘブロン」は “神との交わり・人との結びつき” を象徴する地名なのです。
・アブラムにとってヘブロンは、ロトと別れ、見えるものを譲ったあとに与えられた「心の平安の場所」
・神との深い「交わり(ヘブロン)」を経験する場所でした。
ここでアブラムは、もはや自分の力ではなく、神の約束に完全に信頼する者となっていきます。

ヘブロンとはつまり、信仰者が「神との交わりの中で生きる」ことを学ぶ場所なのです。

創世記12章と13章のまとめ

さて、この話は昔々の物語じゃありません。今日の私たちにも語りかけています。

第一に、召命への応答について
神様は今日も、私たちに「出て行く」ことを求めておられます。
それは罪から、世俗的な価値観から、自己中心的な生き方から出て行くということです。
アブラムがすべてを離れて出発したように、私たちも何かを手放す必要があるかもしれません。
でもそれは、もっと大きな祝福のためなんです。

第二に、信仰の旅について
クリスチャン生活は、目的地じゃなくて旅なんです。途中で失敗することもあります。
アブラムだって失敗しました。でも大丈夫です。神様の恵みによって回復できるんです。
大切なのは、失敗した時にベテルに戻ること、つまり神様のもとに戻ることなんですね。

第三に、譲ることの力について
今の世界は「自分の権利を主張しなさい」と言います。でも聖書は違うことを教えています。
信仰者は譲ることによって、神様の祝福を経験するんです。
アブラムは譲りましたが、損をしましたか。いいえ、神様はもっと豊かな約束を与えられました。

第四に、神様の忠実さについて
最後に、これが一番大切なことかもしれません。
私たちが不信仰であっても、失敗しても、神様は約束に忠実なんです。
アブラハムを通じて全人類を祝福するという神様の計画は、最終的に誰において成就したでしょうか。
イエス・キリストです。イエス様はアブラハムの子孫として来られ、私たちすべてに祝福をもたらしてくださったんです。

【招き】
愛する皆さん、また、オンラインで参加された方。
この創世記12章と13章は、信仰生活の完全なサイクルを示しています。
神様の召し、私たちの応答、失敗、回復、そして神様の変わらない忠実さです。

アブラムは、「主が命じられたとおりに出発した」と聖書は記しています。
すぐにです。議論せず、遅延せず、従いました。

今日、あなたはどうされますか。

もし、あなたがまだイエス・キリストを信じていないなら、今日が救いの日です。
神様はアブラハムを通して全人類を祝福すると約束されました。その約束はイエス・キリストにおいて成就しました。
キリストは、あなたの罪の身代わりに十字架で死に、墓に葬られ、三日目によみがえられました。
このキリストを信じる者は、誰でも「罪の刑罰・永遠の死・サタンの悪・絶望」から救われ、
「赦し・いのち・平安・希望」へと生かされます。

もし、あなたがすでにクリスチャンなら、神様が今、あなたに手放すように求めておられるものはありませんか。
従うように求めておられることはありませんか。

今日、どうか心を開いて、神様の招きに応答してください。
頭を垂れて、心を静めてください。
そして、聖霊があなたに語りかけておられることに、耳を傾けてください。

(祈り)
天の父なる神様、今日、あなたの御言葉を感謝します。
アブラムを召し、導き、失敗しても見捨てなかったあなたを賛美します。
今日、ここにいる一人一人に語りかけてください。
救いを必要としている人には救いを、回復を必要としている人には回復を、勇気を必要としている人には勇気を与えてください。
私たちがあなたの召しに応答し、信仰をもって歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

もし今日、「イエス・キリストを自分の救い主として信じます」と告白したい方は、
黒部カリスアガペー教会のHPへ書き込むか、電話をして来てください。
年齢は関係ありません。
若い方も、人生の後半の方も、神様の招きに年齢制限はありません。

「でも、自分は罪深すぎる」と思っている方、
まさにあなたのためにキリストは来られたのです。

「でも、まだ準備ができていない」と思う方、
完璧になってから来る必要はありません。

あなたのそのままで来てください。

今日が、あなたの人生の転換点となるかもしれません。
神様は、今、あなたを招いておられます。
どうぞ、告白してください。

教会HP https://king-lord.org/contact/

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