ヨハネの黙示録 4章|見えない世界に本当の王がいる

信仰と生活

皆さん、おはようございます。黒部カリスアガペー教会のたばたと申します。今日初めて教会に来られた方もおられるかもしれません。ようこそおいでくださいました。

富山・黒部で生活していると、季節の変化をすごくはっきり感じますよね。

雪が降る季節には、朝起きてまず窓の外を見て、『今日はどれくらい積もったかな』『道路は大丈夫かな』と確認する。

春になれば、山の雪解けを見てほっとする。

私たちは、空や山や海を見ながら、『今日は大丈夫か』『この先はどうなるか』と、いつもどこかで気にしながら生きています。

40代・50代になると、それが“天気”だけではなくなります。

朝、スマホを開いてニュースを見る。

景気のニュース、物価高騰、年金の話、戦争のニュース。

通知には、会社のメールやLINEもどんどん入ってくる。

そして、心のどこかでこう思うことがあります。

『この先、本当に大丈夫なんだろうか。

自分の仕事、家族、老後…この国や世界はいったいどうなっていくんだろうか。』

この年代になると、

・仕事では責任が重くなり、部下の面倒も見ないといけない。

・家では、子どもは大きくなり、親は年を取り始める。

・住宅ローンや教育費、親の介護、自分の健康も気になってくる。

人にはあまり言わないけれど、夜ふと目が覚めて、天井を見ながら考え込んでしまうことはないでしょうか。

『ここまで自分なりに頑張ってきたけれど、これから先、本当にやっていけるんだろうか』

『もし仕事を失ったら、自分の居場所がなくなったら、私は何者になるんだろうか』

私たちはそれを埋めるために、もっと頑張って働こうとします。

もっとお金を貯めようとします。

もっと評価を得ようと、結果を出そうとします。

でも、不思議なことに、頑張れば頑張るほど、“安心”が増えるわけではない。

どこかで、こう感じてしまうことがあります。

『ゴールがどこにあるのか分からないマラソンを、ずっと走らされているみたいだ』と。実は当時の私もそう思っていました。

聖書の最後の書、“ヨハネの黙示録”という本には、ちょっと意外な場面が出てきます。

それは、“不安だらけの地上”ではなく、“もう一つの世界”の様子です。

そこには、私たちが毎日ニュースやSNSで見ている世界とは違う、『決して動かない中心』が描かれています。

今日は、黙示録4章という場所から、その“見えない世界”の一場面を一緒に見てみたいと思います。

そこには、あなたの人生を知らない“遠い神さま”ではなく、

あなたの不安も、失敗も、そしてここまでの頑張りも、

すべてをご存じの本当の王がおられる―

聖書はそう語っています。

では、聖書の黙示録4章をお読みします。【聖書朗読】

「いま、黙示録4章の一場面をお読みしました。前回までの2章、3章で地上の現実(悩みや戦い)を語った後、4章で視点は一気に「垂直方向」へと引き上げられます。

(前回の章ご興味があれば黙示録シリーズをご覧ください。もっと現実味が湧いてきます)

少し不思議な、映画のような場面だったかもしれません。

ヨハネが見たのは「天に開かれた門」でした。

これは、地上の重力から解放され、人生を「上からの視点」へアップデートせよという招待状です。

ヨハネが天で最初に見たのは、システムの背後にある「御座(椅子)」と「そこに座っておられる方」でした。

 私たちの人生は、偶然や運、あるいは誰かの悪意で動いているように見えます。

 しかし、聖書は断言します。世界の中心には「空席ではない椅子」がある、と。

そして、その周りでは、昼も夜も途切れることのない礼拝がささげられている。

さらに、自分の冠を持っている人たちが、その冠を王の前に投げ出している光景が描かれていました。

これは、ただの“宗教的な幻想”でも、“怖い終末のシーン”でもありません。

聖書は、このビジョンを通して、

『目には見えないが、実際に存在している現実』をわたしたちに教えようとしています。

ここから、三つのことを一緒に考えたいと思います。

一つ目は、『視点を変える招き』です。

地上の不安だけではなく、“上の世界”を見るように、という招き。

二つ目は、『本当の王の前に、自分の冠を置くこと』です。

つまり、自分が中心の生き方から、一歩降りること。

そして三つ目は、『その王こそ、イエス・キリストだ』ということです。

このお方を、自分の人生の王として迎えることができるのかどうか。

それではまず最初に、このビジョンに込められている

『視点を変える招き』から見ていきたいと思います。」

視点を変える招き

「最初のポイントは、『視点を変える招き』です。

黙示録4章のはじめに、ヨハネは、地上の現実の真っただ中にいました。

教会は小さく、迫害もあり、状況だけを見ると、とても希望があるようには見えません。

そんな彼に対して聞こえてきたのが、『ここに上れ。この後、必ず起こることをあなたに示そう』という声でした。

これは、『現実から逃げなさい』という意味ではありません。

そうではなく、『地上だけを見て判断するのをやめて、“上からの視点”、神さまの側から人生を見てごらんなさい』というアップデートの招きです。

私たちも、普段は“下からの視点”で生きています。

会社の状況から、自分の価値を判断する。

通帳の残高から、将来の安心を計算する。

人の評価やSNSの反応から、今日一日の気分が上下する。

もちろん、それらは全部、現実的に大事なことです。

しかし、その“下からの視点”だけで生きていると、見えるものが揺れるたびに、心も揺さぶられてしまいます。

聖書の神は、ヨハネに言われたのと同じように、私たち一人一人にも、『ここに上って来なさい』と招いておられます。

『ニュースや数字や評価だけで、人生を判断しないで。

天に御座があり、すべてを見ておられる方の視点から、もう一度、自分の人生を見直してみなさい』と。

信仰とは、“現実を見ないこと”ではなく、“現実を見る前に、まず神を見る”生き方です。

天に御座があり、本当の王がおられるという前提から、仕事も、お金も、家族も、老後も見直していくこと。

そこから、不思議な平安が流れ込んできます。

本当の王の前に、自分の冠を置くこと

「二つ目のポイントは、『本当の王の前に、自分の冠を置くこと』です。

黙示録4章には、『二十四人の長老』という人たちが登場します。

彼らは、白い衣をまとい、頭には“冠”をかぶっていました。

つまり、彼らにはそれぞれの“栄誉”や“実績”、神さまの前で認められている“報い”があったということです。

40代・50代の方たちにも、それぞれの“冠”があります。

ここまで頑張ってきた仕事のキャリア。

不自由なく暮らせるようにと積み上げてきたお金。

家族や子どもたち、守ってきた家庭。

人からの信頼、評判、プライド。

どれも悪いものではありません。

むしろ、与えられた人生の中で、一生懸命に積み上げてきた“宝物”だと思います。

しかし聖書は、その長老たちが何をしたかをこう描きます。

10節 彼らは、御座に着いておられる方の前にひれ伏し、自分の冠を、その方の前に投げ出した、とあります。

それは、こう告白している姿です。

『私が持っているものは、すべてあなたから与えられたものです。本当にふさわしいのは、私ではなく、あなたお一人です。』

私たちは、気がつくと、“自分が王”のように生きてしまいます。

『これは自分の力で手に入れた』

『これは自分のものだ』

『自分の思いどおりにいかないと気が済まない』

そういう心が、誰の中にもあります。

でも、年齢を重ねるほど、自分ではコントロールできないことが増えていきます。

病気、事故、リストラ、家族の問題…。

どれだけ頑張っても、“自分の王座”がぐらぐら揺れる瞬間が来ます。

あなたが必死にコントロールしようとして、うまくいかずに疲弊しているその問題。

実は、あなた以上にそれを深く考え、完璧に治めている『最高責任者』がいます。

その方はパニックにならず、どっしりと座っておられます。

黙示録4章は、そこで一つの道を示します。

“自分が王であり続けること”をやめて、

“本当の王の前に、自分の冠を置く”という道です。

それは、

『今まで自分のために握りしめてきたものを、神さま、あなたのために用いてください』と差し出すことです。

『自分の計画やプライドよりも、あなたの御心がなることを、私は選びます』と告白することです。

クリスチャンになる、というのは、

“何か新しい宗教的なルールを始める”ということではありません。

一番深いところで、“自分が王の座から降りて、本当の王に座っていただく”ことです。

あなたの心の中には、たった一つの“王座”があります。

そこに今、座っているのは誰でしょうか。

自分でしょうか。

それとも、仕事でしょうか。

お金でしょうか。

世間体でしょうか。

黙示録4章の長老たちは、その王座の前にひれ伏し、自分の冠を王の前に置きました。

同じように、私たちも、『神さま、私は自分中心の生き方から降ります。

どうぞ、あなたが私の王となってください』と祈ることができます。

その王こそ、イエス・キリスト

「では、その御座におられる本当の王とは、具体的に誰なのか。

聖書は、そのお方がイエス・キリストであると語っています。

イエス・キリストは、ただの宗教家や、立派な教えをした人物ではありません。

聖書は、イエスを『神の子』『天地を造られた神が、人となって来られた方』だと言います。

本当の王であるお方が、自分の地位や栄光を捨てて、私たちと同じ弱さと痛みを持つ人間として、この地上に来られた。

なぜでしょうか。

それは、“自分が王となって神なしで生きている”私たちを、もう一度、神さまとの関係の中に取り戻すためです。

イエスは十字架の上で、私たちの罪、自分勝手さ、プライド、不信仰のすべてを背負い、

『わたしが身代わりになる』と言って、命をささげられました。

そして三日目によみがえり、今は天の御座の右に座っておられる、と聖書は語ります。

ですから、黙示録4章の御座には、私たちのことを知らない冷たい神ではなく、

あなたの痛みも、弱さも、孤独も、そして“言えなかった後悔”までも知っておられるイエスがおられるのです。

イエスはこう言われました。

『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』

これは、“よくできた人”への招きではありません。

むしろ、『もう自分の力だけでは無理です』と感じている人への招きです。

40代・50代まで、一生懸命走ってこられた方ほど、

『本当は、誰かに支えてほしかった』

『本当は、弱音を吐きたかった』

そんな思いを心のどこかに抱えておられるかもしれません。

イエス・キリストは、あなたのその本音を知ったうえで、こう言われます。

『その重荷を、一人で持ち続けなくていい。

あなたの王座から降りて、わたしをあなたの王として迎えなさい。

わたしが、あなたの人生を共に背負っていく。』

クリスチャンになる、というのは、完璧な人間になることでも、宗教的に立派になることでもありません。

本当の王であるイエスに、自分の人生のハンドルを渡すこと”です。

『イエスさま、これからは、あなたと一緒に歩みたいです』と心で決めることです。

結び:黒部から天を見上げて

……今日お話しした黙示録4章の景色は、遠い未来の話ではありません。

今、この瞬間も、あなたを愛する神様が中心におられるという『真実』です。

立山連峰の頂きに登ると、下界の喧騒が小さく見え、澄み渡る空が近く感じられます。

この4章は、私たちの霊的な登山道です。

黒部カリスアガペー教会は、あなたがその重い冠をひと時下ろし、天の御座におられる方の

『恵み(カリス)』と『愛(アガペー)』に触れるための場所です。

このアガペーとは無条件の愛のことです。

この概念は、「子供が失敗しても変わらず愛する親の心、それ以上のものが神からあなたに向けられている」のです。

あなたが人生の霧を抜け、天の御座から流れる平安の名水に触れることができる場所です。

天の門は開いています。神様は、あなたが自分一人で頑張るのをやめて、その重荷を私に預けてほしいと願っておられます。

今日、この礼拝の中で、

『自分の冠を握りしめて生きてきた人生を終わりにしたい』

『自分が王である生き方から降りて、

イエス・キリストを自分の王として迎えたい』

そう願う方がおられるなら、

今が、その一歩を踏み出すときです。」

【決心への招き】

「ここで、静かに目を閉じていただきたいと思います。

これは宗教的な儀式ではなく、神さまの前で、自分の心の本当の思いを見つめる時間です。

もし、

『イエス・キリストに、自分の人生を委ねたい』

『本当の王として、心にお迎えしたい』

そのように思われる方は、心の中で、私が今お祈りする言葉を、

自分の言葉として、なぞるように祈ってみてください。

こう祈ります。

『神さま。

私は、これまで自分が中心となって生きてきました。

あなたを知らず、自分の思いと力に頼ってきました。

今日、イエス・キリストのことを聞きました。

本当の王であるあなたが、

私の罪のために十字架で死に、よみがえられたことを信じます。

今、自分の“冠”、自分中心だった生き方を、あなたの前に置きます。

どうか、私を赦してください。

そして、イエス・キリストが私の心に入り、私の王となってください。

これからの人生を、あなたと共に歩ませてください。

イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。』

今、この祈りを心の中でささげた方がいるなら、

神さまはその祈りを必ず聞いておられます。

天の御座から、あなたの新しい一歩を喜んで見ておられます。

もし、あとで『この祈りを自分もささげました』という方がおられたら、

どうぞ、私にそっと声をかけてください。

一緒に、これからの歩みのことをお話しできたら嬉しく思います。

この動画が、あなたの人生の『新しい門』になりますように。

もし心に響くものがあったら、ぜひコメント欄で教えてください。

それでは、あなたの上に、神様の豊かなカリス(恵み)とアガペー(愛)がありますように。 

また次の動画でお会いしましょう。

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