

前回の4章では「創造主なる神の玉座」が示されましたが、今日の5章ではその玉座の右の手に「巻物」があり、そこにこの世界の行方・歴史の計画が記されています。
皆さん、おはようございます。黒部カリスアガペー教会のたばた暁と申します。今日初めて教会に来られた方もおられるかもしれません。ようこそおいでくださいました。
黒部市で暮らす私たちは、目の前に雄大な立山連峰を仰ぎ見ながら日々を過ごしています。
黒部川の清らかな水、四季折々の美しい自然。この恵まれた環境の中で、私たちは仕事に励み、家族を養い、地域社会を支えてきました。
この地域の中核を担っている会社、YKKやYKK APをはじめとする製造業で働く方々、黒部川扇状地の豊かな水を活かした農業に従事する方々、日本海の漁業に従事する方々、観光や商業に携わる方々。真面目に働いてきたからこそ、ふと立ち止まって考えることがあるのではないでしょうか。「この先、本当に大丈夫だろうか」「人生の本当の意味は何だろうか」と。
日々、仕事や家庭、地域の役割で「責任ある立場」として奔走されている皆さんにとって、聖書という本は少し縁遠いものに感じられるかもしれません。しかし、今回お話しする「ヨハネの黙示録5章」には、現代の私たちが抱える「どうにもならない閉塞感」を打ち破るヒントが隠されています。
・アウトライン
1. 誰も開けられない「運命のファスナー」
2. 「ライオン」を期待した人々に現れた「子羊」
3. 「名水」のように心に浸透する希望
4. 黒部流・心のつぶやき(祈り)
聖書を一度も読んだことがない方にもわかるように、この物語を紐解いてみましょう。
では、聖書の黙示録5章をお読みします。【聖書朗読】
誰も開けられない「運命のファスナー」

さて、この巻物には七つの封印があり、だれも開く資格がなく、ヨハネという人物は「だれも開けない」と泣きますが、「屠られた子羊」だけがそれを受け取り、天と地すべてから礼拝を受けます。
ポイントを一言で言うなら、「世界の未来を開く資格があるのは、人間でも権力者でもなく、十字架で命を捧げた子羊、つまりイエス・キリストだけ」という宣言です。
黒部市民にとって、「閉ざされたものを開ける」という言葉は特別な響きがあるはずです。
かつて黒部ダム建設という「世紀の大事業」において、硬い岩盤(大破砕帯 だいはさいたい)に阻まれ、誰もが「もう道は開けない」と絶望した瞬間がありました。現在の立山黒部アルペンルートの観光名所です。
また、黒部が世界に誇るファスナーも、ピタリと閉まることで中身を守りますが、それが「一生開かない」となれば、バッグも服も役に立ちません。さらに中にある大切なもの(未来)を取り出すことはできません。

4節 聖書の筆者ヨハネも、それを嘆いて激しく泣きました。ヨハネが泣いたのは、「どんなに地位や力がある者でも、その封印を解くことはできなかった」からです。
皆さん、人生にも『大破砕帯』のような、いくら掘り進めても絶望しか見えない時期がありませんか? あるいは、YKKのファスナーが噛み込んでしまったように、未来がピタリと止まって動かない。ヨハネの涙は、そんな私たちの行き止まりの涙です。
「ライオン」を期待した人々に現れた「子羊」

そこで、一人の長老がヨハネに言います。
5節 「泣かなくてもよい。ユダ族の獅子ライオンが勝ったから、彼が巻物を開き、七つの封印を解いてくれる」という声が響きます。
私たちは『強いリーダー(ライオン)』がこの閉塞感をぶち破ってくれるのを待ちます。しかし、現れたのは『屠られた子羊』、つまりイエス・キリストでした。 工場の現場を支えているのは、指示を出すだけの偉い人ではなく、実は誰よりも現場で泥にまみれ、機械の不調に悩み、責任を背負って傷ついてきた『職人』のような存在ではないでしょうか。イエスは、私たちの人生という現場の痛みをすべて知っている『現場監督』として、その巻物を受け取ってくださったのです。

黒部ダムを完成させたのが、華やかな重機だけでなく、泥にまみれて戦った名もなき人々の献身であったように、キリストもまた、ボロボロに傷ついた姿で、私たちの重荷を背負い、未来の鍵を握ってくださっています。
子羊イエスが巻物(設計図)を持っているということは、「あなたの人生のサプライチェーン(供給網)を管理しているのは、会社でも国でもなく、私キリストだ」という宣言です。
工場で仕事をしておられる方ならよくご存じだと思いますが、どんな製品にも“図面”がありますよね。
勝手に変えたら事故になったり、不良品になったりします。
この巻物は、この世界と歴史の“図面”のようなものです。しかも、その図面を開いて実際に“動かす”権利を持っているのは、ただお一人、屠られた子羊–つまりイエス・キリストだけだ、と聖書は語ります。

明日の数字を自分でコントロールしようとせず、「今日、自分にできるベスト(仕事)」を尽くしたら、あとは「設計図を持っているお方」に結果を委ねる。この「開き直り」が、最も効率的なリスクマネジメントになりますよね。
9節の後半にある「あなたの血によって人々を神のために贖(あがな)い」という言葉は、聖書のメッセージの核心で、かつ現代の私たちにとっても深い意味を持つ言葉です。
特に、仕事や生活でコストや価値、あるいは責任という言葉を肌身で感じている方に向けて、この「贖い」という概念を噛み砕いてお話しします。

「贖う(あがなう)」とはどういう意味か?
一言で言うと、「代価を払って、買い戻す」という意味です。
元々のギリシャ語(アゴラゾー ἀγοράζω)は、市場(アゴラ)で何かを買い取る時に使われた言葉です。当時は、借金で奴隷になった人を、誰かが代わりにお金を払って自由にする(身受けする)ことも「贖う」と呼びました。
これを私たちの人生に当てはめて考えてみましょう。
三つのことを言います。
まず、一つ目2-1. 私たちが抱えている「見えない負債」

40代、50代になると、若い頃には気づかなかった「人生の重荷」を感じるようになります。
「あの時、あんなことをしなければよかった」という過去の後悔。
「自分は十分な人間ではない」という劣等感。
親、会社、家庭、地域に対して、果たしきれていないと感じる責任感。
これらは、いわば私たちの心に溜まった「見えない負債(借金)」のようなものです。この負債があるために、私たちはどこか「自分は自由ではない」「何かに縛られている」と感じ、心から安心することができません。
二つ目2-2. 「血」という最高のコスト

9節には「あなたの血によって」とあります。
黒部のものづくりの世界では、良い製品を作るために相応のコスト(材料費、技術、時間)がかかることは常識です。安っぽい材料からは、一流の製品は生まれません。
聖書は、私たちの「人生の負債」を帳消しにし、私たちを自由に(買い戻す)ためには、とてつもないコストが必要だったと言っています。それが、イエス・キリストの命(血)です。
これは「あなたは、神様が自分の命を投げ打ってでも買い戻したいほど、価値がある存在なのだ」という強烈なメッセージです。
「もう若くないし、代わりはいくらでもいる」――そんな社会の冷たい評価に対し、聖書は「いや、あなたはイエスの命と同じ価値がある」と断言しているのです。
三つ目2-3. 「神のために」買い取られたという安心感

この「贖い」の目的は、単に借金をゼロにすることだけではありません。所有権が「不安や罪」から「神様」へと移ったことを意味します。
私たちの人生も同じです。
自分一人で「自分をどうにかしなければ」と抱え込む(セルフマネジメントの)限界を超えたとき、私たちはこの「小羊イエス」に買い取ってもらっているのだ、と思い出す必要があります。
「私の人生は、もう私だけのものではない。最高の代価を払ってくれたお方が、全責任を持って大切にしてくれるのだ」と言うことです。
なぜここまでするのでしょうか?それは
10節に新しい目的が示されています。
「私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とした。彼らは地上を統治する」
贖われた者は、単に「救われた」だけではありません。新しい使命が与えられています。

「贖いを纏めますと、ビジネス用語で言うなら、『代位弁済(だいいべんさい)』と『所有権移転』です。
私たちが人生で積み上げてしまった後悔や、果たせなかった責任という名の『未払い債務』。
これを子羊が、自分の命という『最高のキャッシュ』で一括決済してくれました。
決済が終わった瞬間、あなたの人生の所有権は『不安』の手から『愛の神様』の手へと移りました。
つまり、今後のあなたのメンテナンス費用も、将来の保証も、すべて新しいオーナーである愛の神様が持つ、ということです。これ以上のリスクマネジメントはありません。」
「名水」のように心に浸透する希望

5章の後半では、この「子羊」を囲んで、数えきれないほどの大合唱が沸き起こります。それは、黒部川の激流が岩を噛む轟音のような、圧倒的なエネルギーに満ちた賛美です。
それまで静まり返っていた天が、一気に歓喜に包まれます。
これは、「人生の主導権を、信頼できるお方に預けたとき」に生まれる喜びです。
なぜ彼らは歌うのか?
それは、「この子羊(キリスト)こそが、私の苦しみの意味を知っており、新しい未来を開いてくれる」と確信したからです。
親の介護、仕事の責任、自分の健康への不安。 「ライオン」のように強く振る舞うことに疲れたとき、思い出してください。聖書が示す希望は、弱さを知る「子羊」によってもたらされます。

黒部の生地(いくじ)にある清水(しょうず)は、地下深くを通ることで不純物が濾過され、あの清らかさを保っています。私たちの悩みも、子羊というフィルターを通るとき、それは『絶望』ではなく、神様の栄光を表す『物語』へと濾過されます。
目には見えなくても、それは確実に大地を潤し、私たちの命を支えています。
キリストの愛も、派手な宣伝はありませんが、信じる人の心の奥底に、決して枯れない「安心」という水を供給し続けてくれます。
黒部流・心のつぶやき(祈り)

最後に、宗教的な儀式ではない、日常の「つぶやき」としての祈りを、皆さんに提案します。
「…彼らはそれぞれ、琴と、香のいっぱい入った黄金の鉢を持っていた。この香は聖なる者たちの祈りである。」(黙示録 5:8)
私たちの吐き出す言葉や心のつぶやきが、神様の前では「黄金の鉢に入った、芳しい香り」として大切に扱われているというのです。
では「儀式じゃない、日常のつぶやきとしての祈り」を3つ提案します。
4-1. 「雪かきの合間」のつぶやき(重荷の受け渡し)
黒部の冬、凍てつく朝に重い雪をかく。腰は痛いし、時間は奪われる。「なんで自分ばかり」というため息が出ますよね。
祈りの作法として: その「ため息」をそのまま言葉にします。
「あー、しんどい。これ、ちょっとキツいです。あとの体力的・精神的な帳尻合わせ、子羊さん(キリスト)、そっちでやっといてください」
ポイント: 綺麗に言おうとせず、「しんどさの納品」だと思ってください。それが黄金の鉢に届く「香り」になります。

4-2. 「立山連峰を眺めて」のつぶやき(視点の切り替え)
仕事のトラブルや家族の悩みで頭がいっぱいになり、視野が狭くなっているとき。ふと顔を上げて、あの雄大な山々を見てください。
祈りの作法として: 自分の小ささと、山の大きさを対比させます。
そしてこんな具合です。: 「あの山を造って、今も維持してるんなら、私のこのちっぽけな悩み(人間関係、売上、体調)の解決策くらい、設計図の中に書いてありますよね。今日は任せましたよ」
ポイント: 黒部の自然を「キリストの管理能力の証明」として使い、「あのお方が管理してるなら大丈夫か」と自分を納得させる祈りです。
4-3. 「宇奈月の湯船での」つぶやき(全肯定の受容)

一日の終わり、お風呂に浸かって「ふぅーっ」と息を吐き出す瞬間。
祈りの作法として: 成果や反省を脇に置き、ただ「生きたこと」を肯定します。
こんな具合です。: 「今日も一日、とりあえず終わりました。完璧じゃなかったけど、あなた曰く、私は『命懸けで買い取った宝物』なんですよね。じゃあ、今日はこれで合格ってことで。おやすみなさい」
ポイント: 100点満点を求められる社会の中で、「子羊による合格点」を勝手に自分に出す時間です。
なぜこれが「祈り」になるのか?
子羊(イエス・キリスト)は、私たちのために傷つき、蘇られ、今も生きて働かれている方です。
だから、私たちが「かっこいい言葉」を並べるよりも、「痛い、疲れた、助けて」という生の体温がこもった言葉の方を、ずっと喜んで受け取ってくれます。

祈りとは、聖なる通信です。黒部の名水が地下のパイプを通って蛇口に届くように、あなたのつぶやきは『フレキシブルチューブ』を通って、天の黄金の鉢へと直結しています。途中で折れたり詰まったりしても大丈夫な、柔軟なホースのようなものです。
あなたの人生の設計図を握り、一つひとつ封印を解いて道を作ってくれる「屠られた子羊」は、常にあなたのそばにいます。もう、一人で完結させようと踏ん張らなくていいのです。開けるのは、あの方の仕事ですから。
今日は、肩の力を抜いて、あの方に一言つぶやいてみませんか。
結び:黒部に生きる意味

黙示録5章は、初めて聖書を読む方にとって難解に感じるかもしれません。しかし、その核心はシンプルです:
世界を変える力は、愛と自己犠牲にある。
歴史には意味と方向性がある。
あなたの人生には、想像以上の価値と意味がある。
小さな町も、一人ひとりも、神様の壮大な計画の中にある。

朝、窓を開けて立山連峰を見上げるとき、黒部川の水の音を聞くとき、冬の厳しい雪の中を歩くとき——それらすべてが、全被造物の賛美の一部です。
そして、それらすべてを造られた神様が、あなた一人ひとりのことを心にかけておられます。
黒部は小さな町かもしれません。しかし、ここに住むあなたのために、「屠られた子羊」イエス・キリストは命を捧げられました。それほどまでに、あなたには価値があるのです。

人口が減っても、若者が出て行っても、神様の計画は変わりません。むしろ、「屠られた子羊」の物語が教えるように、小さく見えるもの、弱く見えるものの中にこそ、神様は働かれるのです。
黒部に生きることに、意味があります。
あなたの人生に、意味があります。
そして、その意味を完成させてくださる方が、天の玉座におられるのです。
この「屠られた子羊」イエス・キリストについて、もっと知りたいと思われたら、それが信仰の旅の始まりです。黒部の教会は小さいかもしれませんが、そこには同じ希望を持つ仲間がいます。

今日、この黒部の美しい自然の中で、少しだけ肩の力を抜いてみませんか。
自分一人で巻物を開こうとせず、この「屠られた小羊」に、あなたのこれからの人生を委ねてみる。そこから、あなたの人生に新しい歌が響き始めるはずです。
黒部の豊かな水が大地を潤すように、神様の平安が皆様の心を満たしますように。
祈りへの導き

(音楽が静かに流れる中、語りかけます)
「皆さん、最後に一緒に静かに目をつぶってみてください。 黒部の山々を造り、今日まであなたを守ってこられた神様に、今、心を開いてみませんか。 もし、今日のお話を聞いて『自分の人生の設計図を、あの子羊に預けてみたい』『自分一人の力みから解放されたい』と思われたなら、私の後に続いて、心の中で、あるいは小さく声に出して、この言葉を神様に届けてみてください。」
決心の祈り

天のお父様、 今日、ここ黒部であなたのお話を聞けたことを感謝します。
私はこれまで、自分の人生というファスナーを、 自分の力だけでこじ開けようと必死に頑張ってきました。 40代、50代と責任を背負い、 誰にも言えない心の重荷や、消えない後悔を抱えて歩んできました。

しかし今日、私のために傷ついた「子羊」イエス・キリストが、 私のすべての負債を、その命で支払ってくださったことを知りました。
私は今、握りしめていた「人生の巻物」を、あなたにお預けします。 私の未来という設計図を、一番よく知っているあなたに委ねます。
どうか、私の心の封印を解き、 黒部川の清らかな水のような「平安」で、私を満たしてください。 「あなたは宝物だ」というあなたの新しい歌を、 私のこれからの人生に響かせてください。
私の罪を贖い、自由にしてくださった、 子羊イエス・キリストのお名前でお祈りします。
アーメン。



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