創世記第4章:罪の起源、その拡大、そして人間性の二つの道

礼拝メッセージ

礼拝メッセ_9月28日:創世記4章

皆さん、こんな経験はありませんか?
朝の忙しい時間に、子どもがなかなか起きてこない。
やっと起きてきたと思ったら、せっかく作った朝ごはんに「これ嫌い」と言われる。
あるいは、ご主人や奥さんが約束を忘れている…。

そんなとき、心の中に小さな火がつきますよね。
ほんの些細なことなのに、「なんで!」とカッとなって、

思わず強い言葉をぶつけてしまう。

そして後になって「ああ、言いすぎたな」と後悔する。
でも空気はギスギスしたまま残ってしまう。

怒りというのは、人間に自然にある感情です。
でも、それをどう扱うかがものすごく大事なんです。

創世記4章に出てくるカインとアベルの物語も、ここから始まります。
カインの心に生まれた「小さな怒り」。
それを抑えきれずに、やがて取り返しのつかない大きな罪につながってしまいました。

しかし、本章の核心は単なる家系のリストではありません。カインの系譜とセツの系譜という、「神を離れる道」と「神を呼び求める道」、その二つの歩みの始まりなのです。

カインとアベル:罪の起源とその表れ(1–5節)

1節「私は、によってひとりの男子を得た」とあり

聖書を見ると「主」の文字が太字で書かれている。

一人の男子の誕生は神のみ業であり、神の恵とあわれみによるもの、と強い認識。

アダムとエバに長子カインと次子アベルが生まれる。

カインは農耕(地を耕す人)、アベルは牧畜(羊を飼う人)という職業を持った。

地の恵の産物の菜食だった(3章18節あなたは野の草を食べる)。

羊の牧畜はミルク、羊の毛、、羊の皮などを得るため。

肉食の許可が出たのは、ノアの洪水の後(創世記9章3節生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、あなたがたに与える。)。

収穫感謝のささげ物

献げ物の質の違い

  • アベルは「羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持ってきた」血のささげ物を献げた
  • カインは単に「大地の実り」を献げた(「最良の」という記述がない)

これは心の態度の違いか、と言う問題ではない

  • 血の犠牲をしているかどうかである。

アベルの信仰は4節のフットノート:

  • ヘブル11章4節「信仰によってアベルは…」と語っています
  • ヘブル12章24節「アベルの血よりも…」

つまり問題は「信仰の有無」。形だけの礼拝、惰性の礼拝は神を喜ばせません。

それは私たちも同じです。

日曜に来て椅子に座るだけではなく、心から神を喜びとする礼拝をささげることを、神は望んでおられます。

罪は戸口で待ち伏せしている(6–8節)

カインが怒りと不満で顔を曇らせたとき、神は声をかけました。
「罪は戸口で待ち伏せしている。あなたはそれを治めなければならない。」

ここに罪の本質が表されています。
罪は私たちの外から攻めてくるだけでなく、心の奥でチャンスをうかがっています。
「比較」「嫉妬」「怒り」は一瞬で私たちを支配するのです。

神は、「治めなさい」と命じられました。

しかし、兄のカインは罪に負け、弟のアベルを殺すという人類最初の殺人事件を、起こしてしまいます。

神は裁きつつも憐れみを示される(9–16節)

神はカインの罪に対し、厳格な罰を下した 。カインは大地を耕しても実を結ばず、地上をさまよう「放浪者」となることを宣告された 。

これは、アダムに下された労働の苦しみに続く、さらなる罰であり、人間が本来持つ安住と生産性の喪失である。

愛の神様は、カインの泣き言に応え、彼を守る「一つのしるし」を与えられた。
これは、完全な滅びではなく、なお生かすという神の憐れみのしるしです。

この神の姿勢は、新約でイエス・キリストにおいて完成します。
本来なら罪に支配され滅ぶしかない私たちが、

キリストの十字架と復活によって赦しと命をいただいている。

「カインにも憐れみがあった」 という事実は、
「私たちにも憐れみがある」という福音を指し示しているのです。

16節 しかし、カインはなお神に背を向け、エデンの東、ノデの地に住むようになりました。

二つの系譜:人間性の分かれ道(17–24節)

  • カインの系譜:自己中心的な文化の発展

カインは「主の前を去って」エデンの東、ノドの地に住み、町を建て、息子エノクの名をつけた 。この「神の前を去る」という行為は、神との関係を断ち、自らの力と知恵によって文明を築くという人間中心的な思想の始まりを象徴している 。

カインの系譜は、ヤバル(遊牧民の先祖)、ユバル(楽器奏楽者の先祖)、そしてトバル・カイン(鍛冶屋の先祖)を生み出し 、人類の技術、文化、芸術がこの神から離れた系譜から発展した。

中近東で製鉄の技術開発されたのは、アナトリア(現在のトルコ)古代オリエント大帝国ヒッタイト王国(前1400年頃)。

ヒッタイト王国のアニッタ大王がプルザンダという街を攻めた時戦利品で鉄製の冠と笏を手にしたのが鉄の始まりとされているように、他地域の鉄器を入手していた。トバル・カインが「青銅と鉄のあらゆる道具を造る者」とされていることは、聖書が記された時代(紀元前15-13世紀頃)の中近東での金属加工技術の発達と一致する。ヒッタイト王国の存在は、聖書の記述の歴史的信憑性を裏付ける考古学的証拠の一つとなっている。

また、古代メソポタミアの マリ王国ユーフラテス中流域、現在のシリア東部テル・ハリリの古代都市マリ(紀元前18世紀)出土のマリ文書は、カインの系譜(都市建設)とセツの系譜(牧畜中心)の並存を歴史的背景で示しました。古代近東では都市文明と遊牧文化が対立ではなく、相互補完的な関係にあったことを示しています。

この発見は、聖書の記述が当時の社会情勢を正確に反映していることの考古学的証拠となっています。

この系譜の中で特筆すべきは、カインから6代目のレメクという人物である 。

彼は一夫多妻制を始めたと記されており 、これは神が定められた一夫一婦の結婚制度(2:24ふたりは一体となる)の秩序からの逸脱し2人の妻をめとった。

また、彼の有名な「復讐の歌」は、神がカインに与えた「七倍の復讐」の約束を逆手に取り、「カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」と豪語する 。これは、人間の罪と暴力が自己の力に頼ることで際限なくエスカレートしていく様である。

セツの系譜:信仰と神への回帰(25–26節)

一方、アベルの死後、アダムとエバは神から「セツ」という新しい息子を授けられた 。エバは「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」と述べており、セツはアベルに代わる信仰の系譜の始まりと位置づけられる 。このセツにも男の子が生まれ、エノシュと名付けられた 。

聖書は「この時、人々は主の名を呼び始めた」と記している 。

この言葉は、神との関係を基盤とする信仰の道が、この系譜から始まったことを示している 。これは、カインの系譜が神から離れていったのとは対照的な、霊的な回帰である。この信仰の系譜は、人間の弱さを認め、神に依存する道を選択した幸いな人々として記されている。

創世記4章のまとめ:結びの招きのことば

創世記4章の終わりは、二つの道を私たちに突きつけます。

  • 一方は「文明の進歩とともに神から離れる道」。
  • もう一方は「主の名を呼ぶ、礼拝と信仰の道」。

私たちはどちらの道を歩むでしょうか?
便利さや成功に心を奪われ、神を忘れて歩むのか。
それとも日々「主よ」と神を呼び、神の憐れみに生きるのか。

イエス・キリストは、この「信仰の系譜」の究極の完成者です。
私たちが罪の中にあっても、十字架と復活によって新しい命の道を開いてくださいました。

ですから今日、私たちも「主の名を呼ぶ者」として歩み出しましょう。
文明や環境がどう変わっても、神を呼び求める心だけが私たちを生かします。

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