
「約束の地」に住んでいたはずのアブラハムには、実は自分の土地が一坪もありませんでした。妻サラが127歳で世を去ったとき、アブラハムはようやく土地を手に入れます。しかもその代金は、当時の相場からすると信じがたいほどの高額でした。創世記23章は、一見すると不動産の売買契約を淡々と記録しただけの章に見えます。しかしそこには、信仰者の悲しみとの向き合い方、そして目に見えない約束を生きる姿勢が凝縮されています。
今回は、創世記23章に何が書かれているのかを順を追って解説しながら、「なぜ銀400シェケルはそんなに高いのか」「アブラハムはなぜ寄留者だったのか」といった疑問を解き明かしていきます。
創世記23章のあらすじ

創世記23章は、大きく分けて次の流れで進みます。
- サラがカナンの地のヘブロン(キルヤテ・アルバ)で127歳の生涯を終える
- アブラハムがサラのために嘆き、埋葬のための土地を求めてヒッタイト人(ヘテ人)と交渉を始める
- 土地の所有者エフロンが畑と洞穴を無償で譲ろうとするが、アブラハムは代金を払うことにこだわる
- エフロンが銀400シェケルという高額を提示し、アブラハムはそれを町の門で公に量って支払う
- マクペラの畑と洞穴が正式にアブラハムの所有地となり、サラがそこに葬られる
物語の中心にあるのは、マクペラの洞穴という一つの墓地です。この場所は後にアブラハム自身、そしてイサク、リベカ、ヤコブ、レアも葬られる一族の墓所となっていきます。
なぜ銀400シェケルはそんなに高いのか

創世記23章を検索する人の多くが気になるのが、この価格の妥当性です。族長時代の記録に残る土地取引の相場では、村ひとつがおよそ100〜1000シェケルとされています。洞穴を含む一区画の畑に400シェケルという値は、明らかに相場より高い部類に入ります。実際、旧約聖書の他の箇所を見ても、ダビデがエブス人アラウナから麦打ち場と牛を購入した際の代金は銀50シェケルでした(第二サムエル記24章24節)。それと比べると、マクペラの畑地の代金がいかに高額であったかが分かります。なお、並行記事である歴代誌第一21章25節では、同じ取引について金の重さで600シェケルという記述があります。これは金額の食い違いというより、第二サムエル記が祭壇と犠牲のための購入のみを扱っているのに対し、歴代誌第一が後日そこに建てられる神殿を見据え、より広大な敷地の購入費用を述べているためと考えられています。
交渉の場面を丁寧に読むと、この高値の背景が見えてきます。エフロンは最初、畑も洞穴も無償で差し上げると申し出ました。しかしアブラハムはその申し出を退け、正当な代価を支払うことに固執します。すると一転してエフロンは「あの土地は銀400シェケルですが、あなたとわたしの間で、それがどれほどのことでしょう」という言い方で、法外な金額をさりげなく提示します。謙遜な物腰を装いながら高値をつけるこのやり取りは、古代オリエントの商習慣における交渉術の一端を映し出しているとも言えます。
アブラハムがそれでも交渉せずに言い値のまま支払ったのは、借りを作らないためでした。無償で土地を受け取れば、その土地に対する完全な所有権を将来にわたって主張しにくくなります。神がアブラハムとその子孫に与えると約束されたカナンの地の、いわば手付け金として、アブラハムは公正な取引という形にこだわったのです。
※1シェケルは11.4g
アブラハムはなぜ寄留者だったのか

アブラハムはヒッタイト人(ヘテ人)に土地を求める際、自らを「あなたがたのうちの旅の者、寄留者」と名乗ります。神から「この地をあなたに与える」という約束を受けてから、すでに数十年が経過していたにもかかわらず、アブラハムはカナンの地に一坪の所有地も持っていませんでした。
この点に矛盾を感じる読者もいるかもしれません。約束されたはずの土地の主が、なぜ寄留者として振る舞い、墓地さえも他民族から買い取らなければならなかったのか。ここには、約束が与えられることと、その約束が完全に成就することの間には長い年月が横たわるという、聖書全体を貫くテーマが表れています。ヘブル人への手紙11章は、アブラハムたち族長について「地上では旅人であり寄留者であることを告白した」と振り返り、彼らが目に見える完成を見ないまま、なお約束を信じて歩んだ姿を伝えています。マクペラの洞穴は、その意味で、まだ実現していない約束のための小さな、しかし確かな足がかりでした。
なお、交渉相手であるヒッタイト人(ヘテ人)は、かつては聖書にのみ登場する伝説上の民族とみなされていた時期がありましたが、19世紀以降のアナトリア地方での考古学的発見により、紀元前2千年紀に強大な国家を築いていた実在の民族であったことが確認されています。創世記23章に描かれる、町の門での証人立ち会いによる土地取引という手続きも、当時の近東における法的慣行と符合する記述です。
本文を追って読む

サラの死とアブラハムの嘆き(1〜2節)

サラは127歳でその生涯を終えました。聖書に登場する女性の中で、年齢が明記されているのはサラだけです。それほどまでにサラの生涯が特別なものとして記録されていることが分かります。アブラハムはサラの亡骸のそばに入り、深く嘆き、涙を流しました。信仰の父と呼ばれるアブラハムであっても、愛する妻の死という現実の前では、包み隠さず悲しみを表しています。
寄留者としての申し出(3〜9節)

嘆きの時を終えると、アブラハムは立ち上がり、ヒッタイト人(ヘテ人)たちに向き合います。「わたしはあなたがたのうちの旅の者、寄留者です」と自らの立場を率直に語り、埋葬のための所有地を求めます。ヒッタイト人(ヘテ人)たちは「あなたはわたしたちの中にあって、神に立てられた指導者のような方です。私たちの墓の中から最もよい所を選んで、あなたの死者を葬ってください。だれもあなたに墓を拒む者はいません」と応じ、深い敬意をもってアブラハムを迎え入れます。アブラハムは深く頭を下げ、畑の端にあるマクペラの洞穴を、持ち主であるエフロンから正当な代価で譲ってほしいと願い出ます。
エフロンとの交渉(10〜16節)


その場に居合わせたエフロンは、集まった人々の前で「畑も洞穴もあなたに差し上げます」と申し出ます。しかしアブラハムは重ねて代金を支払うと告げ、受け取るよう求めます。エフロンはついに「あの土地は銀400シェケルですが、あなたとわたしの間で、それがどれほどのことでしょう。あなたの死者を葬ってください」と言い、アブラハムはその場で、商人の間で通用する重さに従って銀400シェケルを量り、エフロンに支払いました。
所有権の確定(17〜20節)
こうして、マムレの前にあるマクペラの畑、その中の洞穴、畑の中と周囲の境にあるすべての木々に至るまで、ヒッタイト人(ヘテ人)たちの立ち会いのもと、町の門を出入りするすべての人々の前で、正式にアブラハムの所有として確定しました。アブラハムはその洞穴に妻サラを葬りました。土地、境界、付属物、証人までもが明記されるこの記述は、法的文書としての体裁を強く帯びています。聖書はここで、単なる出来事の記録ではなく、後の世代がその所有権を疑うことのないよう、詳細な証拠を書き残しているのです。
信仰者への学び


創世記23章は、悲しみと信仰が対立するものではないことを静かに示しています。アブラハムは涙を流すことをためらいませんでした。しかし嘆きの後、彼は立ち上がり、必要な務めを一つひとつ果たしていきます。深い悲しみのただ中にあっても、日々の現実に向き合い、誠実に手続きを進めるアブラハムの姿は、死別の悲しみを抱える信仰者にとって、一つの慰めとなるのではないでしょうか。悲しみを抑え込む必要はなく、同時に、悲しみの中でも歩み続けることができるという事実です。
なぜアブラハムは無償の申し出を断ったのでしょうか
それは、借りを作らないためです。もし無償で受け取っていたら、後になって「あれはやはり返してほしい」「境界線はここまでだったはずだ」といった主張が出てくる余地が残ります。アブラハムが借りを作らず、正当な対価を払って土地を得たことには、目に見える形を大切にする姿勢が表れています。アブラハムは、悲しみのただ中にありながら、将来に禍根を残さないための、公正で透明な手続きを選び取ったのです。
神の約束は霊的な事柄であると同時に、この地上の具体的な出来事を通して実現していきます。
マクペラの洞穴という小さな一区画は、やがてアブラハム、イサク、リベカ、ヤコブ、レアが葬られる一族の礎となり、数百年後にはヨシュアによる約束の地の獲得へとつながっていきます。今は小さく、不完全にしか見えない一歩であっても、それが神の大きな計画の中に組み込まれているという視点は、信仰者の日々の歩みにも当てはまるものです。
ヘブル人への手紙11章は、アブラハムのような信仰者たちを「地上では旅人であり、寄留者であることを自ら公言した人々」「もっと良い故郷、天にある故郷を求めていた人々」と評しています(ヘブル人への手紙11章13〜16節 参照)。目に見える確証がまだ何もない段階で、正当な対価を払い、公にきちんとした手続きを踏む。その地道な一歩こそが、見えない約束を信じる者の生き方だったのです。

筋を通す具体例
この「筋を通す」という姿勢は、実は今の日本が抱える身近な問題とも重なります。
まず、うまくいかなかったケースから見てみます。日本では現在、相続をきっかけに発生する空き家が大きな社会問題になっています。親から子へ、あるいは親族の間で「そのうち何とかするから」「口約束でいいから」と、名義変更や正式な手続きを後回しにしたまま長い年月が経ち、気づけば所有者が誰なのか分からなくなってしまう。境界や権利をめぐって親族同士がこじれてしまう。こうしたケースは全国で報告されており、空き家が生まれる原因の多くが、まさにこうした相続の場面にあります。この問題を重く見た国は、2024年4月から相続登記を法律で義務化しました。「いずれ」「なんとなく」で済ませてきた手続きを、正式な形できちんと済ませることを、国が制度として求めるようになったのです。もしアブラハムが、エフロンの「無償で差し上げます」という言葉に甘えて、口約束のまま済ませていたらどうなっていたでしょうか。彼はあえてその道を選ばず、代価を払い、証人の前で手続きを結びました。
一方で、うまくいっている仕組みもあります。2020年7月から始まった「自筆証書遺言書保管制度」です。これは、自分で書いた遺言書を法務局に預けることができる制度で、書き換えや紛失、隠蔽といったトラブルを防ぐことが出来ます。また、遺族が家庭裁判所で行う検認という手続きも不要になります。この制度が評価されている理由は、まさに「公の場所で、正式な手続きを踏んでおく」という一点に尽きます。悲しみの渦中にある家族を、後々のいざこざから守るために、生前のうちに透明で確かな手を打っておく。これは、アブラハムが証人たちの前で代価を払い、誰の目にも明らかな形で土地を所有した姿勢と、驚くほど重なります。
悲しみの場面では、人はどうしても物事を曖昧なまま流してしまいがちです。しかし本当に大切な人を思うなら、悲しみのただ中でこそ、誠実で透明な手続きを選ぶ。それが、残される人たちへの最後の思いやりになります。
この章から見えてくること
創世記23章は、サラという一人の女性の死という個人的な出来事から始まり、アブラハムがカナンの地に初めて所有地を得るという、イスラエルの歴史における大きな一歩へとつながっていきます。銀400シェケルという法外な代価、寄留者としての謙遜な交渉、町の門で行われた公的な取引記録。これらすべてが組み合わさって、一つの墓地が単なる埋葬地ではなく、約束の地を受け継ぐ一族の出発点となったことを物語っています。
悲しみの中にあっても誠実に歩み続けたアブラハムの姿は、時代を超えて、今を生きる私たちにも語りかけてくるものがあります。
次回は創世記24章、イサクの結婚の物語です。





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