アブラハムが繰り返した失敗と、神が約束を守られた理由|創世記20章YouTubeテキスト

創世記シリーズ

「また同じ失敗をしてしまった」と感じたことはないでしょうか。
「もう二度と怒らない」「もう嘘はつかない」「今度こそ変わる」。そう決意したのに、気が付けば同じことを繰り返してしまう。これは誰にとっても身近な経験だと思います。

実は聖書に登場する偉大な”信仰の父”アブラハムも、同じでした。創世記20章には、彼が以前とほとんど同じ失敗をもう一度繰り返す姿が描かれています。
しかし、この章で本当に語られているのは、アブラハムの失敗そのものではありません。失敗した人間よりも、神の誠実さの方がはるかに大きかったということです。

この記事では、創世記20章の本文に沿って、「人は失敗を繰り返す。しかし神は約束を決して取り消さない」というテーマを見ていきます。


創世記20章のあらすじ

創世記20章の舞台は、ゲラルという地域です。アブラハムはここに移り住んだ際、再び妻サラのことを「これは私の妹です」と周囲に告げます。
これは初めてのことではありません。創世記12章で、エジプトに下ったときにも、アブラハムは命を守るために全く同じことをしています。8年から十数年の時を経て、彼は同じ嘘を、また別の場所で繰り返したのです。

ゲラルの王アビメレクは、サラを自分の宮殿に召し入れます。しかしその夜、神は夢の中でアビメレクに現れ、サラに触れることを止められました。アビメレクはすぐにアブラハムを呼び出して事情を問い、翌朝サラをアブラハムに返します。その際、家畜やしもべ、そして銀千枚という多額の贈り物まで添えました。最後にアブラハムが祈ると、神はアビメレクの家族を癒やされ、章は静かに閉じられます。

ここから、それぞれの場面を詳しく見ていきましょう。


① アブラハムは再び同じ失敗をする(20:1-2)

アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。(創世記20:2)

ここを読んで、多くの人が「またですか」と感じるはずです。

アブラハムはこの時点で、神の奇跡をすでに数多く見てきました。神と契約を結び、創世記17章では割礼を受け、創世記18章では神から直接、サラに子が与えられるという約束まで聞いています。それほどの経験を積みながら、恐れが押し寄せた瞬間、彼はまた同じ対処法――嘘――を選んでしまいました。

角度を変えてみると。
アブラハムの結婚は異母妹との結婚であった。そして近親婚の禁止はレビ記18章9、11節、20章17節、申命記27章22節にある通りである。アブラハムとサラの結婚は、禁止される前なので確かに妹、には
問題ではないが確かに妻である。生き延びるために必死の作戦である。

なぜ人は同じ失敗を繰り返すのか

「同じ失敗を繰り返す」というテーマは、実際に多くの人が悩み、調べている問題です。心理学的な解説でよく挙げられる原因の一つが、「恐れ」です。失敗そのものを恐れるあまり、根本的な原因に向き合わず、その場しのぎの防衛反応を繰り返してしまう、というパターンです。

アブラハムも全く同じでした。エジプトでもゲラルでも、恐れを感じた瞬間に、同じ「嘘」という対処法を選んでしまったのです。

これは、お酒をやめようと決意しながらストレスで元に戻ってしまう人や、「怒らない父親になる」と決めても疲れた夜には怒鳴ってしまう人の姿と、どこか重なります。決意だけでは人は変わりません。行動の奥にある「恐れ」そのものに向き合う必要がある、ということを、アブラハムの物語は静かに教えています。


② 神は無知の罪と故意の罪を区別される(20:3-7)

ここから物語は意外な展開を見せます。神が直接介入されるのは、アブラハムではなく、事情を知らないアビメレクの方なのです。

“「あなたは死ななければならない。」(創世記20:3)”

非常に厳しい言葉です。しかし、その理由は明確です。サラは神の契約の中心にいる女性であり、約束の子イサクは、サラを通して生まれなければならなかったからです。神は、何があってもサラを守られました。
注目したいのは、神がアブラハムだけでなく、事情を知らなかったアビメレクのことも気にかけておられる点です。神は正しい裁き主であり、無知による罪と、故意の罪とを明確に区別しておられます。アビメレク自身も「私は正しい心でこのことをした」(20:5)と弁明していますが、神はその弁明を聞き入れ、彼に行動の機会を与えられました。


③ 神は失敗したアブラハムを、それでも用いられる(20:7)

さらに驚かされるのは、神がアビメレクにこう告げられたことです。

今、あの人の妻をあの人に返しなさい。あの人は預言者で、あなたのために祈ってくれるだろう。そして、いのちを得なさい。しかし、返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことを承知していなさい。」(創世記20:7)

嘘をついた人物です。恐れに負けた人物です。それでも神は、なお「彼は預言者だ」と言われます。

これは、神がアブラハムの失敗を肯定されたという意味ではありません。しかし、神は彼への召しを取り消されませんでした。新約聖書には”「神の賜物と召命は変わることがない」(ローマ11:29)”という言葉がありますが、創世記20章はその原則を、はるか以前からすでに示していたとも言えます。
一度の失敗で人生が終わるとは限りません。神は、悔い改める人を再び立たせてくださる神です。


④ アビメレクの方が正しく見える場面

創世記20章には、少し不思議な逆転があります。読んでいると、アブラハムよりもアビメレクの方が立派に見える場面が続くのです。

アビメレクは朝早く起き、家臣に事情を説明し、すぐにサラをアブラハムに返します。さらに家畜やしもべ、銀千枚という大きな贈り物まで与えています。
一方のアブラハムは、こう弁解します。

アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。(創世記20:11)

しかし結果は、その言葉とは逆でした。「神を恐れていないだろう」と思われていた異邦人の王の方が、神の声に素直に従ったのです。
私たちもしばしば「あの人には信仰がない」と決めつけてしまうことがあります。しかし神は、私たちの想像を超えて、思いがけない人を通して働かれます。


⑤ 夫婦の信頼が損なわれた時、何が回復の鍵になるのか(20:14-16)

創世記20章は、夫婦の危機の物語としても読むことができます。

アブラハムは自分の身を守るために、妻サラを「妹だ」と偽り、結果的にサラを危険な状況に置きました。これは妻を欺き、信頼を損なう行為です。

しかし、ここで信頼を回復させたのは、アブラハム自身の努力ではありませんでした。アビメレクが、サラの名誉を回復するために多くの贈り物を与えたのです。銀千枚という金額は、当時としては非常に大きな補償であり、サラが潔白であることを公に証明する意味を持っていました。

夫婦関係における信頼回復について、一般的な助言でもよく語られるのは、「正直に話すこと」「隠し立てしないこと」が土台になるという点です。聖書も同じことを教えています。

「偽りを捨てて、真実を語りなさい」(エペソ4:25)

人間関係において一度損なわれた信頼は、簡単には元に戻りません。しかし神は、傷つけられた人の名誉を、必要な時に回復してくださる方です。これは現代の私たちにとっても、大きな慰めとなる視点ではないでしょうか。


⑥ アブラハムの祈りで癒やしが起こる(20:17-18)

最後に、アブラハムは祈ります。すると神は、アビメレクの家族を癒やされました。
これが創世記20章の締めくくりです。失敗した人が、再び人の祝福となる。これが神の恵みです。神は、完全な人だけを用いられるのではありません。赦された人を用いられるのです。


この章から学べる3つのこと

① 信仰者でも失敗する

アブラハムでさえ、同じ失敗を繰り返しました。だから私たちも失敗します。しかし、失敗が人生の結論ではありません。

② 神の約束は人間の弱さで壊れない

もし神の計画が人間の出来によって左右されるなら、誰も救われません。神はご自身の約束を、人間の弱さに関わらず守られる方です。

③ 神は失敗した人を再び立たせる

アブラハムは預言者として、再び祈りました。神は赦し、回復させ、もう一度使命へと戻してくださいます。


まとめ

創世記20章は、アブラハムの失敗の物語ではありません。神の誠実さの物語です。
人は約束を忘れます。恐れます。逃げます。失敗します。何度も同じ失敗を繰り返してしまうことさえあります。しかし神は、約束を忘れません。だからイサクは生まれ、その子孫から、やがて救い主イエス・キリストがお生まれになります。

もし今、「また同じ失敗をしてしまった」と感じているなら、創世記20章は希望を語っています。神はあなたを見捨てていません。失敗よりも、神の恵みの方が大きいからです。


次回は創世記21章、約束の子イサクの誕生について見ていきます。

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