皆さん、おはようございます。
私たちは待つことが苦手な時代に生きています。
即座の答え、すぐの結果、迅速な配達。
しかしノアは120年間、箱舟を造り続けました。
そして箱舟に入ってからも、約1年間、出口の見えない暗闇の中で待ち続けたのです。
「神の時」と「人の時」は、しばしば一致しません。
私たちは「今すぐ」を求めますが、神は「時が満ちて」行動されます。
今朝開く創世記7章は、ついに神の時が来た瞬間を記録しています。
警告の時は終わり、審判の時が始まったのです。
しかし同時に、この章は救いの確実性も語ります。
「神が閉ざされた戸」は、誰も開けることができません。
人類史上最大の審判と、神の救いの確かさを味わいましょう。
神の命令(1-4節)
1 主はノアに言われた。「あなたとあなたの全家は箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいことが分かったからである。
2 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいずつ、
3 また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取りなさい。それらの種類が全地の面で生き残るためである。
4 あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生けるものを大地の面から消し去る。」
前回学んだ6章を振り返ると、大洪水を起こさなければならない原因を見ました。
人が地上に増えると共に、罪が増大したこと。
「主は心を痛められた」とある通り神は無感情ではなく、愛ゆえに悲しむお方であること。
しかし、ノアは正しい人であり、主の心にかなっていたこと。
神は裁きの宣言をし、神との歩みを選んだノアに箱舟の建造命令を指示されたこと。
神はノアと救いの契約をされたこと。
でしたね。
箱舟が完成し、洪水の7日前になりました。主はノアに箱舟に入るよう命じます。
「あなたとあなたの全家族」という表現は、信仰による救いが家族にも及ぶことを示唆しています。
きよい動物ときよい鳥とを各種7つがいずつ、きよくない動物は1つがいずつという区別は、洪水後の犠牲のささげ物や、生活して行く食糧としてのものも含んだ支持です。
ノアの従順な応答(5-10節)
5 ノアは、すべて主が彼に命じられたとおりにした。
6 ノアは六百歳であったが、そのときに大洪水が起こり、大水は地の上にあった。
7 ノアは息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻とともに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。
8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地面を這うすべてのものの中から、
9 雄と雌がつがいになって箱舟の中のノアのところにやって来た。神がノアに命じられたとおりであった。
10 七日たつと、大洪水の大水が地の上に生じた。
ノアは「すべて主が命じられたとおりに行った」と繰り返されます。6章22節、7章5節、この完全な従順こそが義人ノアの特徴です。
600歳という年齢表記は、歴史的出来事としての記録性を強調しています。
箱舟に入ったのは、ノア、セム、ハム、ヤペテとその妻たちの8人。
そして、動物たち。
動物たちの数はどんだけなのか?
推定値:創造科学の見解を参考までAnswers in GENESIS代表のケン・ハム氏によると、
地上動物の「種類(kind)」を約1,000〜1,500種と推定。
雄雌2匹ずつ、きよいものは7組ずつとすると:
計算例(創造論的アプローチ)
| 区分 | 種数(推定) | 平均個体数 | 合計 |
| きよい動物(約100種) | 100 | 14匹 | 約1,400匹 |
| きよくない動物(約1,000種) | 1,000 | 2匹 | 約2,000匹 |
| 鳥類(約300種) | 300 | 14羽 | 約4,200羽 |
| 爬虫類等 | 数百匹 |
合計(陸上動物+鳥類) 約7,000~10,000匹前後と推定される。
箱舟の大きさと収容能力
前回の6章を参照(6章15節)
現代の中型貨物船(またはカーフェリー)と同等の容量です。
約5〜6万頭の羊を収容できるほどの広さ。
よって、推定数千〜数万匹程度の動物を飼育するのに十分な余裕があったと考えられます。
因みに、実際乗船したカーフェリーでは、さんふらわあ(商船三井フェリー)や新日本海フェリーの大きさですね。
箱舟での生活は

”あなたは、食べられるあらゆるものから採って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物のための食物としなさい。」(6章21節)”
聖書は「すべての食料」とだけ述べ、具体的な量は記していませんが、
箱舟に積まれた食料は、おそらく200トン以上だったでしょう。
想像してください。ノアは何年もかけて:
・穀物を収穫し、乾燥させ壺に詰め、袋に入れ保存
・飼料の干し草を刈り、圧縮し湿気対策をし保存
・飲料水用の貯水設備(おそらく雨水を集める)
それら全てを箱舟に運び込みました
周囲の人々は笑ったでしょう。
『ノア、何をしているんだ?そんな大量の食料、誰が食べるんだ?』
しかしノアは、神が『集めよ』と言われたから、集めたのです。
そして実際、洪水が来た時、その食料がなければ、
ノアの家族も、すべての動物も、生き延びることはできませんでした。
神の命令に従う時、それが無駄に見えることがあります。
しかし神の時が来た時、その意味が明らかになるのです。
今日、神があなたに命じておられることは何ですか?
誠実に働きなさい
家族を愛しなさい
御言葉を学びなさい
祈りなさい
それは地味かもしれません。
すぐに結果が見えないかもしれません。
200トンの食料を集めるような、気の遠くなる作業かもしれません。
しかし、神の時が来た時、その備えが命を救うのです。
ノアは雨が降る前から準備しました。
見えないものに対する信仰と、長期にわたる忠実さが求められています(”ヘブル11章7節 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。”)。
洪水の到来(11-16節)
11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、大いなる淵の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた。
12 大雨は四十日四十夜、地に降り続いた。
13 ちょうどその日に、ノアは、息子たちのセム、ハム、ヤフェテ、またノアの妻と、息子たちの三人の妻とともに、箱舟に入った。
14 彼らとともに、種類ごとにあらゆる獣、種類ごとにあらゆる家畜、種類ごとにあらゆる地の上を這うものと、種類ごとにあらゆる飛ぶもの、鳥や翼のあるものすべてが箱舟に入った。
15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつノアのいる箱舟の中に入った。
16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた。
11節にある第二の月の十七日とは
いつでしょうか。ユダヤ暦には二つの起点があります。
宗教暦(春を起点)
第一の月:ニサン(3-4月頃)過越の月
第二の月:イヤル(4-5月頃)
出エジプト記12:2で制定:「この月をあなたがたの月の始まりとし」
(3-4月頃)
過越の月
(4-5月頃)
洪水開始
地が水に覆われる
止まる
箱舟から出る
その日に、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」
– 創世記 7章11節
出エジプト記12:2で制定
第一の月 = ニサン月
第二の月 = イヤル月
具体的な日付の記録は、
これが神話ではなく
実際の歴史的出来事
であることを示す
命が芽吹く季節に
審判が始まった逆説
しかし新しい創造への
序曲でもあった
🔍 神学的意義
正確な日付の記録: 聖書は「第二の月の十七日」という具体的な日付を記録しています。これは単なる神話や寓話ではなく、実際に起こった歴史的出来事として記されたことを示しています。
救済史との連関: 第一の月(ニサン月)に過越の救いがあったように、第二の月に洪水による審判と救いが始まりました。この暦の記録は、神が歴史の中で計画的に働かれる方であることを示しています。
神の主権: 「その日に」という表現は、神が定められた時に、定められた方法で、ご計画を実行されることを強調しています。人間の時ではなく、神の時が歴史を動かすのです。
民事暦(秋を起点)
第一の月:ティスレ(9-10月頃)新年祭
第二の月:ヘシュヴン(10-11月頃)
ユダヤ伝承・タルムード(創造からの伝統的な暦)
(9-10月頃)
新年祭・仮庵の祭り
(10-11月頃)
洪水開始
冬の雨季
止まる
箱舟から出る
その日に、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」
– 創世記 7章11節
第一の月 = ティシュリ月
第二の月 = ヘシュヴァン月
創造からの伝統的暦
農業サイクルに基づく
地中海地域の雨季開始
「第二の雨」の季節
自然のサイクルと調和
農業の新しい年の始まり
出エジプト以前の時代
おそらく民事暦を使用
宗教暦は後に制定
(出エジプト記12:2)
🌸 宗教暦解釈(春起点)
- 第二の月 = イヤル月(4-5月)
- 出エジプト記で制定された暦
- 過越との神学的連関
- 春:命の季節の逆説
- 救済史の流れを強調
- 礼拝暦との整合性
🍂 民事暦解釈(秋起点)
- 第二の月 = ヘシュヴァン月(10-11月)
- 創造からの伝統的暦
- 自然サイクルとの調和
- 秋:雨季の始まり
- ノアの時代の実際の暦
- 農業暦との整合性
🔍 民事暦解釈の根拠
時代的文脈: ノアの時代は出エジプト記以前です。モーセがニサン月を「第一の月」と定めたのは出エジプト記12:2においてですから、それ以前は伝統的な民事暦(秋起点)を使用していた可能性が高いと考えられます。
季節的整合性: ヘシュヴァン月(10-11月)は地中海地域で雨季が本格化する時期です。「天の窓が開かれた」という表現は、この季節の大雨と自然に結びつきます。春のイヤル月は通常、乾季に向かう時期です。
農業暦との関連: 秋は古代イスラエルの農業年の始まりでした。新しい年の始まりに審判と新創造が重なるという象徴性があります。収穫後の新しいサイクルの開始という意味でも適切です。
ヘシュヴァン月の意味: この月の名前は「建てる」という意味に関連すると言われます。ソロモンの神殿が完成したのもこの月です(1列王記6:38)。破壊と再建、審判と新創造というテーマが重なります。
⚖️ どちらの解釈が正しいか?
学問的には議論が続いています: 両方の解釈に一定の根拠があり、確定的な結論は出ていません。重要なのは、どちらの暦を用いても、聖書が具体的な日付を記録することで、これが実際の歴史的出来事であることを強調している点です。
・聖書は『第二の月の十七日』と正確な日付を記録しています。
これは単なる神話ではなく、実際の歴史的出来事として記録されたことを示します。
ノアが使っていた暦と、バビロン捕囚後に確立したユダヤ暦の月名を直接結びつけることはできません。
ノアが使ったのは単に「第一の月」「第二の月」という呼称であり、現代の「イヤル」や「ヘシュヴン」といった固有名詞は使われていません。
具体的な日付は、神が歴史の中で働かれる方であることを示しています。
私たちの人生にも、神が定められた時があることを覚えます。
大いなる淵の源と天の水門
その日に「大いなる淵の源」=地下水の爆発的噴出と「天の水門」=大雨が天から降る、が開かれた。
・創世記1章6〜7節では「上の水」と「下の水」が区分された天地創造で秩序を作りました。
・洪水ではその秩序が破壊され、創造が「逆行」します。
・創世記1章2節「大いなる水」の地下水源、と上からふる雨とで起こされて大洪水になるのです。
つまり、創造時に分けられた水が再び一つになり、混沌( תהו ו:בהו)トーフ ヴァ・ヴォーフとした状態に戻るのです。
・これは、罪による世界の崩壊です。
雨の降り方が現在のと、全く違います。なぜなら、地下水の爆発的噴出と天から降る大雨とあるからです。
ところで、聖書よりも古い時代に記された古代メソポタミア文書にも洪水物語があります。
「ギルガメシュ叙事詩」(ウトナピシュティム物語)や「アトラ・ハシス叙事詩」、「シュメール王名表」など複数存在しています。また、世界各地(インド、中国、ギリシャ、アメリカ先住民など)にも洪水伝承があるため、実際に史的洪水事件があったと推定する研究者も多いことは、ご承知の通りです。
このように古代世界に広く洪水伝承があるという事実は、聖書の信憑性を強化します。
創世記だけの作り話なら、なぜ世界中に類似の記憶があるのでしょうか?
多神教的世界観では「騒音と怒り」ですが、一神教の創世記では「罪と救い」という倫理的・救済史的解釈へと昇華されました。
古代の人々は断片的に真理を知っていましたが、私たちはキリストにおいて完全な啓示を持っています」
洪水伝承は同じ出来事を異なる神観から語った可能性が高いのです。
気まぐれな神々vs道徳的な唯一神
偶然の救いvs信仰による救い
混沌vs秩序と契約
神々の恐れvs神の主権的愛
キリスト中心の解釈は「洪水物語の究極の成就はキリストです。
ノアの箱舟は審判からの救いです。
ペテロの手紙第一にはこう記してあります。
”3:20 かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。
3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。”
キリストに出会うことは新しい創造の始まりです。そこには神の契約の忠実さ、があるからです。
さて、本題に戻ります。5章29節にはノアは五百歳になって息子たちを産んだと記されています。
7章6節には、ノアは六百歳のとき箱舟に入りますので、6章と7章の間には100年間の空白期間がありました。
この間、地上にいる人々は何をしていたのでしょう?
ノアたちは年がら年中、巨大な箱舟の建造をしていました。その建設物を作るのを見ていたはずです。それを見て何とも思わなかったのでしょうかね。ノアは大洪水の日が来ることを、みんなに言っていたと思いますよ。伝道していたと。。。
”マタイの福音書24章38節には「 洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。”」とあります。
人々の悪が地に満ちていた時代、普通に生活を営んでいたわけです、それも呑気にです。
16節、「すべてが、神がノアに命じられたとおりに入った」、のです。
・それから、「主( יהוה アドナイ)が彼のうしろの戸を閉ざされた」
洪水の日を前にして、箱舟の扉を閉めたのはノアではありませんでした。
救いの主導権は神にあると、神による救いは確実にされました。
大雨が降って来て始めて、大洪水になることが人々はわかったでしょうね。
誰ものが船へと泳ぎ、ドン、ドン、ドン「ノア、ノア、俺たちも船に入れてくれ!!!」と扉を叩いて叫んだ、かも知れません。
しかし、主が戸を閉ざされた、のですから入ることも出ることも出来ません。
審判の完遂(17-24節)
17 大洪水は四十日間、地の上にあった。水かさが増して箱舟を押し上げたので、それは地から浮き上がった。
18 水がみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。
19 水は地の上にますますみなぎり、天の下にある高い山々もすべておおわれた。
20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わり、山々はおおわれた。
21 こうして、地の上を動き回るすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群がるすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。
22 いのちの息を吹き込まれたもので、乾いた地の上にいたものは、みな死んだ。
23 こうして、主は地の上の生けるものすべてを、人をはじめ、動物、這うもの、空の鳥に至るまで消し去られた。それらは地から消し去られ、ただノアと、彼とともに箱舟にいたものたちだけが残った。
24 水は百五十日間、地の上に増し続けた。
40日間の雨、150日間の水の増加という段階的記述は、審判の徹底性を示します。
・水は地の上にますますみなぎり「 מאד メオード מאד メオード」と繰り返されるヘブル語。
・「すべての高い山」が覆われた、と全地的洪水の表現。
・水は「15キュビト(約6.8メートル)」山の上を越えたので、「すべての肉なるもの」が息絶えた。
・「主は地の上の生けるものすべてを、」が滅ぼされたという表現は、罪の結果の深刻さを強調しています。
ノアとその家族、そして動物たちの具体的な日常生活について、詳細な記述はありません。しかし、聖書の記述や常識的な推測から、彼らが約1年間にわたって行っていたであろうこととして、
- 動物の世話と維持管理:餌やり、水やり、糞の処理、清掃、病気や怪我の動物の看護。これだけでも8人は休む暇がなかったでしょうね。
そして、箱舟の最も重要な役割は、多種多様な動物と鳥類を種の絶滅から守り、洪水の後に再出発させることでした。 - 家族の日常生活の維持:食事の準備、衛生管理、限られた空間での共同生活の調整。
- 神への信仰と希望の維持:祈り、礼拝、神の約束の確認と励まし合い、創造物語や信仰の継承(セム、ハム、ヤペテへの教育)。
箱舟は神の裁きから逃れるための場所であると同時に、信仰を試される場所でもありました。
このように、聖書が詳細を語らないのは、むしろ
「何をしていたか」より
「誰を信じていたか」が重要だからかもしれません。
ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていましたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。(ルカの福音書17章27節)
とルカの福音書にあります。
まとめ:箱舟の戸が閉まる前に!
皆さん。
箱舟の戸は、ある瞬間、閉ざされました。
その前の日まで、戸は開いていました。
誰でも入ることができました。
しかし、神が閉ざされた瞬間、もう遅かったのです。
聖書は語ります。
”「人には一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)”
私たちは、自分の命がいつまであるか、知りません。
恵みの戸がいつ閉ざされるか、知りません。
だから聖書は言うのです。
”「今日、もし御声を聞くならば、心を頑なにしてはならない」(ヘブル3:15)”
今日です。
明日ではありません。
いつかではありません。
もしあなたが、聖霊の語りかけを感じているなら、
もしあなたが、心の中で「決心しなければ」と思っているなら、
今日が、その日です。
後回しにしないでください。
主イエスは、今日、あなたを招いておられます。
「神の招きは、強制ではありません。しかし、無視すべきでもありません。
今日、決心された方も、まだ考えたい方も、
この礼拝で語られたことを、心に留めておいてください。
聖霊は、あなたの心に働き続けてくださいます。
神があなたを祝福してくださいますように。」
祈り
今日、決心された方は、その場で静かに祈ってください。
私が導きますので、心の中で一緒に祈りましょう。
「天の父なる神様、
私は罪人であることを認めます。
私は自分の力では救われることができません。
イエス・キリストが私の罪のために十字架で死なれ、
三日目によみがえられたことを信じます。
今日、イエス・キリストを私の救い主、主として受け入れます。
私の人生に入ってきてください。
私を新しく造り変えてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」



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