皆さん、お早うございます。
私たちの人生には、思いもよらない試練や困難が訪れることがあります。
「ノアの洪水」のようなすべてが押し流され、行き場を失い、
神の沈黙を感じるような日々があると思います。
しかし、聖書は語ります──
「神はノアを覚えておられた」(創世記8章1節)と。
その一節は、沈黙の中にも神のまなざしが注がれているという約束です。
神はあなたを忘れてはいません。
今日、創世記8章を通して、
神の慈しみと信頼、そして私たちに備えられた希望について、
ともに見ていきましょう。
神の憐れみと洪水の終結(8:1–14節)
8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。8:3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。8:4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。8:5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。8:6 四十日の終わりに、ノアは自分の造った箱舟の窓を開き、8:7 烏を放った。すると烏は、水が地の上から乾くまで、出たり戻ったりした。8:8 またノアは、水が地の面から引いたかどうかを見ようと、鳩を彼のもとから放った。8:9 鳩は、その足を休める場所を見つけられなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を伸ばして鳩を捕らえ、自分がいる箱舟に入れた。8:10 それからさらに七日待って、再び鳩を箱舟から放った。8:11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ、取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地の上から引いたのを知った。8:12 さらに、もう七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。8:13 六百一年目の第一の月の一日に、水は地の上から干上がった。ノアが箱舟の覆いを取り払って眺めると、見よ、地の面は乾いていた。8:14 第二の月の二十七日には、地はすっかり乾いた。(創世記8章)
1節:「神はノアと箱舟のすべての獣と家畜とを覚えておられた」
「覚える」(ヘブル語 (イズコール) יִּזְכֹּר )は、単なる思い出すことではなく、約束に基づいて行動を起こす という意味。
神はノアを忘れたのではなく、契約に忠実な行動として洪水を退かせてくださった。
フットノートを見てください、そこには創世記19章29節でも「神はアブラハムを覚えてロトを救った」と同様の用法がある。
1–5節:洪水の引き潮と箱舟の停止
神が「風(ルーアフ) רוּחַ」を地の上に吹かせられる。創世記1章2節の創造の「御霊(ルーアフ) רוּחַ」を想起させる表現。洪水は「逆創造」(混沌に戻る)であったが、ここで再び「再創造」が始まる。
4節:「第七の月の十七日に箱舟はアララテの山にとどまった」アララテは今日のトルコ東部のアルメニア国境付近。
・文脈的背景
第2の月の17日: 洪水が始まる(7章11節)
150日後: 水が減り始める(8章3節)
第7の月の17日: 箱舟がアララテ山にとどまる(8章4節)
第10の月の1日: 山々の頂が見え始める(8章5節)
つまり、神の裁きの水が退き始め、救いの着地が起こった日です。
それは「新しい始まり」「救いの転換点」として記されています。
・象徴的な意味:ヘブル的な暦で「第七の月」は非常に意味のある月です。
| 月 | 名称(後のユダヤ暦) | 祭り・出来事 | 意味 |
| 第七の月 | ティスレ(Tishri) | ラッパの祭り(ロシュ・ハシャナー)新年 贖罪日(ヨム・キプール) 仮庵の祭り(スコット) | 神との和解・新しい始まり |
出エジプト記12:2で、神はイスラエルにこう命じられます。
「この月をあなたがたの初めの月としなさい。」
そこから数えると、
第七の月(創世記基準)=宗教暦の第一の月(出エジプト記基準)
つまり「ニサンの月」にあたります。
そして「ニサンの月の十七日」は、驚くべき日になります。
| 出来事 | 日付 | 意味 |
| イエス・キリストの復活 | ニサンの17日頃 | 死からの勝利・新しい命の始まり |
| ノアの方舟の着地 | 第七の月の17日(=ニサンの17日に対応) | 洪水(死)からの勝利・新しい地の始まり |
イエス・キリストの復活の日付
ニサンの月の17日(ユダヤの宗教暦の第1の月)にイエス・キリストが復活された。
時系列
| ニサン14日 | 過越の子羊が屠られる日 | イエスの十字架 |
| ニサン15日 | 過越の祭りの初日 | イエスは墓の中 |
| ニサン16日 | 安息日 | イエスは墓の中 |
| ニサン17日 | 週の初めの日 | イエスの復活 |
型論的つながり(タイプ)
・ノアの箱舟: 第7の月の17日 (創世記8:4)
箱舟がアララテ山にとどまる → 死の水が引き始める → 新しい命への希望が始まる
・イエスの復活: 第1の月(ニサン)の17日
死からの復活 → 罪と死に対する勝利 → 新しい創造の始まり
・結論
この17日という数字は、聖書全体を通して復活・新生・希望のテーマと結びついています。ノアの物語におけるこの日付が、後のキリストの復活を予型的に指し示していると理解することができます。
つまり、箱舟の「とどまり(安息)」は、キリストの復活の型(予表)です。
6–12節:烏と鳩の派遣
ノアは観察し、待ち、確かめる。信仰とは、神の約束を信じつつも、現実を見極める知恵である。
鳩がオリーブの若葉をくわえて戻る場面(11節)は、「地上に再びいのちが芽生えた」しるし。
鳩はのちに聖霊の象徴ともなり、新しい命の始まりを暗示する。
13–14節:地の乾くまで待つノア
ノアは箱舟の「おおい מִכְסֵה (ミㇰフセ) ←へブル語」を取り去って目で確かめても、神の命令があるまで出なかった。
彼の慎重さ・従順さは、信仰の成熟を示している。

箱舟からの脱出(8:15–19節)
8:15 神はノアに告げられた。8:16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。8:17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」8:18 そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。8:19 すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
神が「出なさい」と命じたとき、ノアはすぐに従った。
箱舟を出たのは、ノアが勝手に判断したのではなく、神からの明確な命令によるものでした。
ノアの最初の行動は「祭壇を築き、全焼のいけにえをささげる」(20節)こと。
洪水後の最初の行為が「礼拝」であることに注目。
神への感謝と献身の表明であり、救われた者の当然の応答である。
神の契約と福音の約束(8:20–22節)
8:20 ノアは主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。8:21 主は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で主はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。8:22 この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」
20節:ノアの礼拝
祭壇、は聖書の中で初めて登場する言葉。「祭壇」:(ミズベーアㇰフ מִזְבֵּחַ)ノアは感謝の捧げ物をささげる。洪水を通じて神の義を知り、憐れみを体験した彼は「礼拝者」として立つ。
礼拝とは、救いの確信に基づいた感謝の行為。
この「主のために祭壇を築く」という行為は、子孫のアブラハム、イサク、ヤコブ、そしてモーセへと継承されて行きました。聖書をたどるとアブラハム(当初はアブラム)はカナンの地で築いた祭壇は4ヶ所あります。
| 12章7節 | シケム(モレの樫の木のところ) | カナンの北部(現在のナーブルス付近) |
| 12章8節 | ベテルとアイの間 | カナン中央山地(現在のベイト・エル、ラマッラー市の近郊) |
| 13章18節 | ヘブロン(マムレの樫の木のところ) | カナン南部(現在のヘブロン市)に位置し、 サラ、アブラハム、イサク、リベカ、レア、ヤコブの墓(マクペラの洞穴)もここにある |
| 22章9節 | モリヤの山(イサク献げの場所) | = エルサレム神殿の丘、南部中央(エルサレム)現在のイスラエルの首都 |
21節:「主はその香ばしいかおりをかがれ」
の香ばしいかおり=レイアㇰフ ニㇰホアㇰフ(רֵיחַ הַנִּיחֹחַ)ヘブライ語の表現。直訳: 「安らぎの香り」「なだめの香り」「心地よい香り」。
エペソ5:2: 「また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。」
賛美のいけにえ、の聖書箇所は
(ヘブル13:15)「それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」
神が人と結んだ契約
ノア(ノア契約)が最初です。ノアが祭壇でささげた全焼のいけにえのかおりを嗅がれた主は心の中で、”「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」(8:21)”と誓われました。
神はいけにえそのものではなく、心を受け入れた。
(詩篇51:17)「神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ 砕かれた心。 神よ あなたはそれを蔑まれません。」
「人の心の計りごとは幼い時から悪い」、神は人の罪深さを知った上で、それでも再び滅ぼすことをやめられる。
つまり、神の憐れみは人の罪よりも深い。
22節:「地のある限り…やむことはない」
「種蒔きも刈り入れも」「夏も冬も」日常の営みの中に神の恵みが流れている。
これは、ノアの契約の基盤であり、私たちが生きる世界が神の定められた秩序の中に守られていることの証しです。創造秩序の永続の約束。神は秩序を再び確立された。
創世記8章のまとめ
創世記8章は、神の裁きから回復への移行を描いています。神の記憶、ノアの信仰、そして神の新たな約束が、この章の中心テーマです。この物語は、どんな困難の後にも、神は新しい始まりを用意してくださるという希望のメッセージを伝えています。
アダムから分かれた二つの流れ、
ひとつは、「カインの系図」は神を認めないで生きようとした。
もうひとつは、「セツの系図」は神を認めて生きました。後に祭司職を担う重要な働きをしました。
カインから続く系図は洪水によって途絶えました。
対照的に、セツから続く系図はノアの家族に受け継がれ、神の審判を生き延びて、人類の新しい歩みを始めました。
招き: 希望のオリーブの枝を受け取る
愛する兄弟姉妹、そして、今日初めて当教会のYouTubeに参加された方。
今日の説教を通して、私たちは、神がノアを、そして
箱舟の中のすべての命を「御心に留めておられた」という、
その深く、揺るぎない愛と憐れみを再確認しました。
私たちがどんな困難の中にあったとしても、
どれほどの絶望の淵に立たされたとしても、
神は決して私たちを見捨てることはありません。
神は、私たち一人ひとりのことを「心に留め」、そして、
私たちを救いへと導くための具体的な行動を起こしてくださるお方です。
ノアが放った鳩は、オリーブの若葉をくわえて戻ってきました。
それは小さな葉でしたが、大きな希望のしるしでした。
命が戻ってきた。未来がある。神は約束を守られる。
もしあなたが今、人生の「大洪水」の中にいると感じているなら、
将来への不安や、過去の罪の重荷に押しつぶされそうになっているなら、
どうか覚えていてください、
「神はあなたを心に留めて」おられることを。
今日、神はあなたにも希望のしるしを与えようとしておられます。
それはイエス・キリストです。
イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架にかかり、
三日目によみがえられました。
私たちのための「なだめのかおり」となってくださいました。
キリストのいけにえによって、
私たちは神との間に新しい契約を持つことができるのです。
それは、死から命へ、絶望から希望への道が開かれたことを意味します。
どんなに暗い状況にあっても、キリストにあって希望があります。
どんなに困難な試練の中にあっても、キリストにあって平安があります。
今、この恵み深い招きに応答したいと願う方がおられるでしょうか。
あなたの心の中に、神への感謝、悔い改め、そして
新しい人生を歩みたいという思いが芽生えているなら、
今日、その一歩を踏み出しましょう。
今日、イエス・キリストを信じ、この永遠の希望を自分のものとしませんか。
「主イエスよ、私はあなたを信じます。あなたが私の希望です」と、
心の中で祈ってください。
祈ります。
「天の父なる神様。
今日、あなたのみことばを通して、あなたの愛と救いの計画を知ることができました。
どうか、ここにいる一人ひとりが、あなたの招きに応え、
キリストという救いの箱舟に入ることができますように。
あなたとともに歩む人生を選び取ることができますように。
イエス・キリストの御名によりお祈りします。アーメン。」



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